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写真は内房線木更津駅にて撮影。

一部の茨城県民や神奈川県民、静岡県民、一時は埼玉県民や栃木県民、群馬県民などにも御馴染みだった車両。

2021年4月30日よりJR東日本成田線我孫子-成田間開業120周年記念事業の一環として記念列車の運行が開始された。それはE231系に113系をイメージした「スカ色」の帯としたものだが、Yahoo!ニュースによれば、愛好者の一部にはちょっと違う色が期待されていたという。それは、灰色9号に青22号のいわば「阪和色」で、1986年10月から7か月程、阪和色の113系が総武本線や成田線、鹿島線などに現れていた。

だから今後は209系かE231系の先頭車が「阪和色」の帯とした編成の車両も是非とも登場させてほしい。こうなると先頭車が京浜東北線や根岸線みたいになってしまうのだろうが。

また、113系は1998年まで我孫子までの定期運用を持っていた。

乗車撮影したことないが千葉市にある幕張電車区に前述の該当編成が居るのを見たことある。該当するのはマリ239編成の中に有り、銚子・安房鴨川側の先頭から順にクハ111-86、モハ113-181、モハ112-181、クハ111-407という非冷房4連でクハが阪和色で中間はスカ色。

所属表記は塗り直される前は「天ヒネ」(大阪府にある日根野電車区)のままで戸袋窓に「天王寺-和歌山間は、禁煙」という透明シールも残っていたという。

千葉地区では113系で中間車を少なくして先頭車を沢山集めていたため先頭のクハ111だけ湘南色で中間車は元から千葉にいたスカ色の4両編成が2本有った。該当するのはクハ111-76とクハ111-355の編成とクハ111-147とクハ111-420の編成で中間車はスカ色の非冷房。

111系と113系の混結編成も存在していたことがある。

1980年代前半だとサロ113が京阪神地区や宇野線(岡山県)快速(「マリンライナー」の前身)のグリーン車廃止や横須賀・総武快速線の直通運転開始で再び関東に戻った。転入時に湘南色から横須賀色に塗り替えられたが全車の塗り替えが間に合わなかったことから湘南色のままで横須賀・総武快速線で使用されたり側面の緑帯が残っていたり、横須賀色でも「大ミハ」、「大タツ」の標記になっているものもあった。彼らは1998年末全廃。

幕張車でも福知山線電化区間延伸開業用になったものがある。

国鉄末期だと高槻区から転入した湘南色のサハが横須賀色の11両編成に組み込まれていたこともあり、実際に乗車したことがある。クモユニ143に湘南色と身延色も存在していた。全車兵庫県神戸市の川崎重工製。落成直後には東海道線と山陽線で試運転が行われた。

これは国鉄時代だと当たり前だったが広域転配が分割民営化でやりにくくなり、寝台列車を相次いで廃止させ、甲種回送の回数を増やす必要性が生じ、運賃計算上からも不都合になり、自動改札普及などで係員が旅客に相対する場面自体が著しく減少し、多様な企画乗車券が発売されても周遊券や周遊切符みたいに使用条件が厳しくなって国鉄時代より使いづらくなったものもあり、各社間の繋がりが薄れ、下関(山口県)や亀山(三重県亀山市)では全旅客列車が分断という問題も残し、猪瀬直樹元都知事は分割民営化を「失敗」の二文字で評している。

詳細はこちらへ。

千葉地区は国鉄時代から労使紛争が激しく、1972年7月15日土曜日の総武線東京延伸開業の際に113系と別の新車を投入するつもりができなかった。

 

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