1956年の本日は日本初の寝台特急「あさかぜ」運行開始。本日は電化の日です。1964年制定。
1956年、米原-京都間の電化で、東海道全線電化完成。
「あさかぜ」は博多などに午前中到着できることが結構うけた。常識破りが結構成功に結びつくという好例。当初は寄せ集めの旧型客車を適当に繋げただけの雑多な編成。「あさかぜ」運転に当たっては草木も眠る丑三つ時に大阪を通過する列車など使われるわけがないと大阪地区から大反対があり、「ならば梅田貨物線を経由させるか?」というような冗談交じりの話まで。
同時に、塗色変更で情報を知っているのがあまりいなかったため驚いた人が多かったのは「青大将」というニックネームで呼ばれた「つばめ」と「はと」。客車とEF58電気機関車は従来標準色だった葡萄色から淡緑に塗り替えられてイメチェン。当初は窓の下にも黄色の帯を入れたかったのが時間がなかったため省略。全線電化で「つばめ」と「はと」が時間短縮。
淡緑は退色が激しく、汚れも目立つため、151系増投入もあり、4年という短命に。
以前も加藤が青大将色の客車と機関車を発売していたことがあったが、現在の製品よりも白みがかった緑だった。グリーンマックスでは京阪ライトグリーンを代用色として指示。マッハや日光モデルでは以前から正しい色調に近い青大将色を発売していたが、こちらは金属用でプラスチックに塗布できないのが難点(以前「プラスチックが溶ける心配もある」としながらグリーンマックスの灰色を下地としてからグンゼの薄め液で薄めて吹き付けていた例も)だったため森田やジェイズの塗料が発売されるのを待つか、東急グリーンと伊豆急行ペールブルーを適当に混ぜるか、グンゼのイスラエル空軍色などで代用するしかなかった。
これまた同日、山手・京浜東北線分離運転も開始。東海道全線電化よりこちらのほうが喜びが勝っていたとも。
当日は月曜日。通勤客の混乱を極力抑えたくて月曜日に改正を行ったという。
寝台列車は、指定席料金だけで使えるようにするなど、方策も色々あり、高速バス以上に新たなる可能性や方向性が豊富だった。いまなお廃止が惜しまれており、廃止直前にも存続希望の声が多かったり、復活希望の声も。
客が減っても、寝台列車がかなり減ってしまっても、支持者は晩年においても皆無でなかったし、安易に廃止してはいけなかった。料金が高くても一人辺りの占有面積が広く、荷物をそばに置けるとか、快適と考えていた人が晩年でも多く、面識ない人とのコミュニケーションが取れることは新幹線や航空機、高速バスならあり得なかった。
反対意見を色々見ているが、多くは全く理解できない。高速バスのように一人辺りの占有面積が狭いのがいいともされるが、ホテルとあまり状況は変わらない筈だし、夜行列車運行の独立会社でなかったことが悪かった。割引切符がなければ寝台車に長所があっても乗車率も知名度は少なくなり、運行と一緒に線路や駅舎、信号などの管理も要ることが間違いだったし、夜勤職員数や夜勤手当の削減などが成長を阻害し、退化させた。
実態は週末辺りで満員に近い状態だったこともよくあった。潜在需要も多かったり、内容が以前より悪くなった面も指摘され、航空機や新幹線、高速バスにできないことをもっと行えばよかったし、寝台列車は乗るだけで済み、睡眠時間を長く取れ、健康的でもあり、座席に長く座っているより体によく、労力や時間も節約でき、用務で移動中、道を間違えて乗り遅れれば乗り遅れた本人が会社解雇の可能性もあるが、寝台列車で午前中の用務に間に合わせられ、前日夕方に出て宿泊も意外に不便で不経済であり、空港までレンタカー使用は自分で運転の必要があって、使用料も必要で、途中で迷い、航空機に乗り遅れる可能性もあり、早朝第一号を使うならホテルか自宅で早起きの必要があり、これでは睡眠時間削減が必要で、宿泊は高い金が必要で、空港まで行くなら乗り換え回数が多かったり、時間がかかりすぎて不便。
高速バスは快適でないという意見も多く、入浴できないにしても下着だけ替えたいが高速バスなら隠れて着替える所がなく、着替えは降りてトイレでしないといけないし、トイレを探すに時間かかり、トイレがあってもトイレが臭かったり、汚かったり、混んでいたりしたらたまらないが、寝台車なら移動中にカーテンで隠れて着替えできる。
現在なら民営なので金の浪費は許されないのが問題だろうが、夜行列車は、得られる収益よりも掛かる経費が大きいことで、これをどこまで許せるかが鍵。
もっと悪かったのは国や自治体の道路中心主義。線路の整備にも特定財源設置が望まれ、本来は車に頼らず、線路を中心に徒歩、二輪車、バスなどの交通手段を適時使い分けられる交通機構構築が必要で、線路は道路以上に整備されていないし、軌道系交通機関の各事業者にとっては悲劇としか言えないのが現状。道路中心行政は、過疎化や大都市への集中に拍車をかけ、道路整備予算は年間一兆円を上限にしないといけないなのにしないし、経済効果がなかった。
国が自治体が職員の数も一人辺りの人件費も現状の4割程度に削減し、線路に数%の道路整備予算使用、沿線住民や多数の団体が前向きに話し合って考えることなどが今後は必要で、線路へ対しての補助金が他の先進国との比較ではあまりに少なすぎるのが実情。全国的に都市計画が失敗し、慢性的な交通渋滞になっているため、車が不要な街づくりが必要だ。
市町村合併も効果あったと思えないし、道路やダムの建設は所管する部署と財源が別で利権が絡むから線路に金が出ない。高速道路は金のなる木にならないし、合併などを進めても道路への歳出は増え続ける。
自立型経済振興に渋滞緩和とさらなる線路の整備が望まれるし、線路への差別が自動車社会助長を進め、車の購入費用や燃費、維持費、税金として国民に使わせてきた。線路への公的支援は、近代化設備整備費補助金の名目で年間約25億円。同じ整備に、道路には年間数兆も出しており、国が強引に進めてきた施策は大して効果がないゴミ施策でしかなかった。
線路への補助は法改正が必要で、改正すれば殆どの線路が廃止とならないで残れると思われるから早期改正が望まれ、経営状態が悪ければ、住民や自治体が一丸となって支援も望まれるし、高速道路は出入口から遠くて意味が無いと思っている人が多く、建設費も維持費も高く、完成まで時間がかかりすぎで、無用の長物とあらゆる所で言われ、完成しても素直に喜べない人が多く、景観が悪くなり、地域分断などの被害報告が各地で相次いでいる。
本日は世界トイレの日です。世界のトイレを研究しているシンガポールのJack Sim氏が設立した世界トイレ機関が制定。2001年の同機関の設立日。
本日は農業共同組合法公布記念日です。全国農業協同組合中央会が1947年制定。「農業協同組合法」公布。
本日は緑のおばさんの日です。1959年、通学児童を交通事故から守るための学童擁護員の制度スタート。
本日はペレの日です。ブラジル・サンパウロ市郊外のサントス市が1995年制定。1969年、サントスFCで活躍したサッカー選手・ペレが、1000号ゴールの偉業達成。
本日は一茶忌です。俳諧師・小林一茶の1827年の忌日。
本日は勇忌です。かにかく忌歌人・劇作家・小説家の吉井勇の1960年の忌日。かにかくに祇園は恋し……から「かにかく忌」とも。
そのほかの出来事
461年 聖ヒラリウス、ローマ教皇に就任。
1335年 新田義貞らが足利尊氏追討の為、京都出発
1493年 コロンブスがカリブ海の島・プエルトリコ発見
1566年 毛利元就が富田月山城の尼子義久を下す。尼子氏滅亡。
1620年 メイフラワー号がマサチューセッツのコッド岬到着
1789年 谷風梶之助が初の横綱土俵入り儀式の免許
1792年 フランス革命で国民公会が「友愛と援助」宣言
1863年 リンカーンがゲティスバーグでの国立戦歿者墓地奉献式典で「人民の人民による人民の為の政治」の演説
1921年 東大で第1回日本バスケット選手権大会開催
1927年 愛知県名古屋市での陸軍特別大演習観兵式で、全国水平社の北原泰作二等兵が軍隊内の部落差別撤廃を天皇に直訴
1936年 堀口大學らが日本翻訳家協会設立
1945年 GHQが超国家主義的・軍国主義的・封建的な映画236本の上映禁止・焼却指令
1947年 「農業協同組合法」公布
1950年 広島県で日本初の公式女子ボクシング試合開催
1956年 大相撲に九州場所が追加され年5場所に
1965年 佐藤榮作内閣が戦後初の赤字国債発行閣議決定。翌年1月29日に2590億円分発行。
1966年 横綱・栃ノ海引退。在位2年9か月で史上最短命。
1968年 沖縄県嘉手納基地でB52爆発。爆風で附近の住民5人負傷。
1971年 沖縄返還協定強行採決に対し全国883か所で抗議行動。1800人逮捕。日比谷公園内のレストラン松本楼が放火で全焼。
1977年 エジプトのサダト大統領がイスラエル訪問
1980年 歌手・山口百恵と俳優・三浦友和が霊南坂教会で結婚式
1986年 日本の巨大加速器トリスタンで電子と陽電子の衝突実験成功
1997年 土井隆雄氏を乗せたスペースシャトル「コロンビア」打ち上げ
1997年 アニメ「ドラゴンボールGT」最終話放映。11年9ヶ月の長期に渡った「ドラゴンボール」シリーズ完結。
1998年 自民・自由両党の党首会談で自自聯立政権樹立合意
1998年 筑紫哲也NEWS23でビル・クリントン米大統領が市民と直接対話。
2000年 ペルーのフジモリ政権崩壊。
2003年 PHSの通信業者の事業停止としては日本初のPHS事業者アステルグループのアステル九州停波。
2006年 任天堂の据え置き型ゲーム機、Wiiが北米で発売開始。
2006年 JR西日本津山線で落石による脱線事故。26人負傷(岡山県)。
2006年 世界最大の旅客機エアバスA380が初めて成田空港に。空港適合性試験による。11月20日午後、離日。