優先席に当たり前に座る人について思ったこと | アキ子じゃない!

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そうだよねと思った記事があった。

最近、外国人観光客が増えたこともあり、気になっていたことだ。

それは、電車の優先席に座る健常者をよく見かけることだ。

電車の車両の前後は大体優先席になっているが、外国人観光客は知らないのか分からないが普通に座る人がいる。

少なくとも日本人は優先席の存在は知っていると思う。多分その人にそこは優先席だと指摘すると必要な人が来たら席を譲るというだろう。

まあ、必要な人が座れないということが無いのならそれで良いかと思う反面、なんか釈然としない。

一般のシートで、座っている人が目の前に来た老人に席を譲るという場面をよく見かける。ほっこりエピソードに見えるが、なんか人を選んでいるようでそれも釈然としない。

 

今目の前に居る老人に席を譲ったとして、実はこの人は登山やハイキングが趣味の健康な人かもしれない。だったらもっと他に、足腰が弱っている老人がいるかもしれない。その人にこそ席を譲る必要があるのではないか。

そんなことを考えると、今この人に席を譲るべきかを考えてしまう。

笑顔が可愛いらしい老人の女性と、ムスッとした老人の男性が目の前に立っていたらどちらに席を譲れば良いのか。笑顔の女性は顔には出していないが足腰が悪く立っているのがつらいかもしれないし、ムスッとした男性こそ体の不調を我慢して歯を食いしばっていてムスッとしているのかもしれない。しかもムスッとした男に席を譲っても逆切れして怒り出して理不尽な気分になるかもしれない。そう考えるとどういう時に声をかけるべきか考えてしまう。

 

そうは言っても実際問題、目の前に老人が来たら席を譲る気はある。だけど、スマホを観ていたり目をつぶっている間にいつの間にかに老人が目の前に立っていて、隣に座っている人が席を譲るなんて場面があった。席を譲るために常に周りに老人が居ないかを気にしながら電車に乗らなくてはいけないなんて、気が休まらない。オレの目の前に立った老人に隣の人が席を譲ると目の前に座っているあいつは何とも思わないのかという視線を感じ居心地が悪るかった。

 

だから、そもそも座りたい老人は優先席を目指せば良いと思う。

そういうと冷たい人だと言われそうだが、こんなことがあったのでそう考えるようになった。

 

 

  私はまだ若い

 

20代の若者が、席を譲ろうと老人女性に声をかけたら「私はまだ若いから大丈夫です」と断られた。それだけなら「はいそうですか」で済むのだが、恥ずかしかったのかその老人女性は連れの人に「私、60代なのに老人扱いされちゃったよ。参ったわー」って。

そんなことを言われたら譲った人もバツが悪い。声をかけたことを申し訳ないという感じで恐縮していた。

 

 

  松葉杖での通勤が苦痛

 

会社の先輩がケガで松葉杖を使って通勤していた時があり、こんなことを言っていた。

この姿で電車乗ると絶対と言って良い程、声をかけられ席を譲ってくれるという。

でもその先輩は、ヒザも曲がらないから座ることもままならない。席を譲ってくれても断るしかない。それが申し訳ないという。

しかも、こんなことがあったと話しだした。

少し離れたところに座っていた人が、わざわざ近づいてきて席を譲ってくれた時があるのだが、ひざが曲がらなくて座れないので大丈夫ですというやり取りをしている間に、他の人がその席に座ってしまった。せっかく席を譲ってくれた人には感謝の気持ちがあったから、その席まで行って座った人に「自分のためにこちらの人が席を譲ってくれたのだけど、ひざが曲がらなくて僕は座れないので大丈夫ですよって話しをしていたところなんです。なのでその席はこの人が座っていたのでこの人に席を返してください。」って説明したのだけど、座っている人は「は?」ってなって、譲ってくれた人も「大丈夫ですから」ってなり、カオス状態だったと。

だから電車で席を譲ってくれるのはありがたいが声をかけられないよう、気配を消しているという。

 

健常者からすれば、声をかけて席を譲るということは良いことだという認識だけど、受け手からすると、必ずしも声をかけてもらいたいわけではない人がいるということもある。

さらに、電車に乗るだけで周りから見られているのだというストレスもあるのだ。

 

 

  優先席に座る健常者

 

高校生男子3人組が電車に乗ってくると優先席に座った。1人がここは優先席だから座るのはまずいと言う。しかし、そういう人が来たら立てばよいと別の1人が言い3人で座った。楽しそうに話しをしているが、この3人、サングラス・ピアス・財布とズボンに鎖という格好で、電子タバコを吸ってみたいとか話している。もし、優先席を目当てにしていた人が乗り込んできたとしても、この子たちの前には行きにくいだろう。

他にも通勤中の会社員ですら、怖い顔してスマホに集中して座っている。こういう人がいると優先席に座ることをあきらめてしまうのではないかと思った。

 

今日、そんな気持ちを記事にしたものを見つけた。

優先席は「必要な人が来たら譲ればいい」のか…優先席に当たり前に座る人が見落としている重要な視点

 

 

 

健常者は必要な人が来たら譲れば良いというが、必要な人は座っている人に声をかけて席を譲ってもらう必要が出てくる。

もしかしたら、見た目は健常者だけど、優先席に座る必要がある人かもしれないからやたらめったに席を譲れって声をかけられない。

なんで優先席なのにお願いして座らないといけないのか。当事者なら思うだろう。

そもそも、移動手段の電車内でいちいち他人と会話したくない。

 

そう考えると、『優先席に健常者は座らない』というのが最善策だと思う。

 

記事の中に、優先席に座っている外国人に注意をして席を変えさせたら、後から乗って来た日本人が次々に優先席に座ってしまい困ったということが書いてあった。

 

オレも注意したり指摘したいと思う場面があった時に、頭をよぎるのがこれだ。

この人を指摘したら、他の人にも同じく指摘しなくては不公平だ。そうなるとキリが無い。

 

 

  ちゃんと体操をしなさい!

 

会社員時代、朝始業前に5分程、体操をするという会社だった。5分前になると館内放送で体操の曲が流れる。小規模な営業所の時は、総務の人がラジカセで曲を流していた。

入社して配属した部署は、全員席を立ち体操をした。上司が体操するように指示していたから黙々と全員が体操をしていた。

小規模の営業所の時は、複数の部署がワンフロアーにいたが、ある営業部門はほとんどの人は体操をせず、普通に席に座ったままパソコンに向かっている。

そんな中、所長が交代した。その所長は別の部門所属の課長が所長という肩書になっていたのだが、体操しない部門の人たちに体操するよう指示をした。

その時は、『当然だよな』ぐらいに思っていた。体操の曲が流れている中、知らん顔している意味が分からなかった。だって、朝の5分程度だし、体を動かしたら気分が切り替わって今日もがんばるぞって気持ちになるから体操すればよいのにと思っていたのだ。

その後、本社に異動し、大きな部署では体操をしない人がたくさんいた。本社内でもいくつか異動したが、部署とか、上司の考えが大きいようだった。全く誰も体操をしない部署もあったのだ。

本社に来て、オレも最初のうちは、同じ課の人たちだけでも声をかけて体操をするよう注意したかったけど、周りには全く体操をしない部署がある中、注意した人が反論してきたときに論破できないし、異動者が来るたびに注意しなくてはならなくなるし、上司が変わった時に、その上司は体操を重視しない人だったら何のために体操するよう注意していたのだ?ということになる。

 

『優先席に健常者は座ってはいけない』とは決まっていないので、記事のように注意をすると、厄介なことになるのは目に見えてわかる。

朝体操をしない人に注意するのと同じ。注意する対象者は後を絶たないし、そもそも注意するための法律などの後ろ盾がない。

 

 

  近所の子供を叱るのが当たり前の時代があったというが

 

『電車で注意する』ということで思い出すのが、年配の女性が中学生女子2人を注意したのを見たことだ。

電車内に、ブツブツ独り言を言ってたまに大声を出してきょろきょろしている中学生ぐらいの男の子がいた。

周りはみんなこの子が障がいか何かあるのだとわかっただろう。オレも気づいた。

しかし、近くにいた中学生の女の子2人はヒソヒソ話しながらその男の子を見ている。その内、面白がって声を出してキャーキャー笑っている。男の子も多分自分のことを笑っているのだろうと気づいたんじゃないかと思うほど、あからさまな態度だった。オレはどうやって注意しようか考えていたが、次の駅で降りるので躊躇していた。

そして駅に着き、降りようとすると、その女の子2人も降りた。

その時、年配の女性が駆け寄るように電車から降り、女の子たちに声をかける。

見ているとその女性は男の子のことを面白がって笑ってたことについて叱りつけていた。

もし、男の子の目の前で女の子たちを叱ったら、男の子は混乱しただろう。駅を降りてから叱ったのはさすがだと思った。

年配の女性はおそらく降りる駅では無かったと思う。そこまでして叱ることができるなんてすごい。

オレもその輪に入って「そうだそうだ」と加勢したら、他にも立ち止まってその女の子と年配の女性を見ていた人がいたので大げさになってしまうだろうから何もしなかったけど、ここまでしっかり女の子たちに向き合えたかと言えばできなかったと思う。

 

先の記事の中に、”「誰にも何も言われない風潮」に付け込んでいる”とあった。

『指摘されないから好き勝手にする』ということだろう。

指摘するには、指摘する側に相当の覚悟が必要だからそうそう指摘できない。

悪循環だ。

 

指摘するってホント労力がいるし、その人の全てを分かっているわけじゃないし。

聞いた話しだけど、ホホー。ってのがある。

電車内で小学生ぐらいの兄弟がクツのままシートに乗ったり大声でわめいたりしている。近くに父親がいるが知らん顔して下を向いている。周りの乗客は迷惑だと憤慨している。しつけもできないダメな父親だと。そんな時に、一人の乗客が父親に詰め寄る。すると、父親は目には涙。奥さんが急死し病院に向かうところだと。これからこの子らにどうやって伝えればよいのかと。意気消沈。一瞬にして同情に変わったという話し。

 

だから、優先席に座っている人に片っ端からそこに座るなと注意することもできない。その人が優先席を必要としているかは見た目では分からないから。

 

こうなると、民度を上げていくしかないのかもしれないが、草の根活動をするにも一筋縄ではいかないだろう。

 

しかし、カフェでパソコンやスマホをテーブルに置いたままトイレに行く日本人に外国人観光客は驚いているという話しがあったり、スマホや財布を落としても交番に届けられているから高確率で戻ってくるという記事を最近見た。

パチンコ屋で、トイレ休憩の時に、スマホを台に置いて席をキープする人が多いが盗まれることは無いという記事もあった。

なんとも平和な証拠だ。

だから、先の記事では“知らぬふりをする日本人ばかりになったら、一体どうなってしまうのでしょうか。”と日本人を憂いでいるが、トータルで見たら、まだまだ日本も捨てたもんじゃないと思う。