頑張っても報われない | アキ子じゃない!

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頑張ることを否定するものではないですよ。

資格を取るために頑張って勉強したり、仕事のことを休みの日にも考えてたり。オレにもあった。

 

オレは高校卒業後大手メーカーの国内販売会社に就職して外回りの仕事をしていた。その後15年目頃、システム開発の業務オーナーに異動した。その頃は社内システムの発注側だったからシステムの利用シーンも想像つくし、やりがいもあった。それが完成するとIT部門で企画になった。各部門から上がってくるこんなシステムが欲しいという要望を多角的な知見から最適なシステムを提案する構想フェーズというIT屋の言い方すると上流とか超上流とか言ってたものを担当した。川に例えて海に出たら完成とすると構想段階というのは上流という意味。

 

そこから数年で今度はクラウド型のシステムで、社内システムを構築する部署に行った。この頃は2、3年おきに全く新しい事を覚えて仕事しなくてはならずしんどかった。クラウド型のシステムを扱ってた時は、システム構築で画面を操作するのが緊張の連続だった。クリックひとつで全データ上書きとか、外部の顧客にメール発信とかがあり得る環境だったから。クリックした時の影響を色々考えて想像しないといけない。ある先輩が異動の時の挨拶で、これでインシデント事故起こす心配がなくなるって考えると肩の荷が降りましたって言ってた。

 

次に異動したのは各部門のIT担当者とシステム開発部門との調整部署。開発部門は人数が限られているので、各部門がやりたい改修の優先順位を決めて開発が回るようにしたり、世の中で話題になっている新技術について指南したりという仕事だった。その仕事自体初めてだったのに何も教えてもらえず、ベテラン社員が担当している仕事をマルっと引き継ぐよう課長から言われた。ベテラン社員はオレに教える気も引き継ぐ気もない。すると課長からのプレッシャーもありベテラン社員に「日程調整の仕事進めたいんで教えてください」と言うとまだ手をつけなくていいという。オレは正直に課長から詰められてると言ったがまだいいと返事は変わらない。すると付け加えるように「オレがやらなくていいって言ったってことは課長に言うなよ」って言ってきた。

後日課長との打ち合わせでは何で進んでないんだと言われたが先輩がやらなくていいと言っていたとも言えず。課長と先輩が仲悪かったことも原因だけど辛かったな。

 

この部署に来てから体調を崩し始めた。40代前半なのに帯状疱疹になった。他には左目から常時涙が出て止まらないこともあった。電車に乗ってても、両手でパソコン操作してても関係なくポロポロ涙がこぼれてくる。ハンカチで押さえすぎて目の周りがただれた。あと、ぎっくり腰のような腰痛や、不眠もあった。さらに、会議とかで人が話していることについて意味はわかるけど、じゃあどうするということが考えられないことに気が付き、おかしいと思ってメンタルクリニックに行くと”うつ”と診断された。

 

見かねた前いた部署の課長が急遽呼び戻してくれて、地獄のような職場から脱出できた。

しかし呼び戻してくれた部署も間も無くして人員削減されて、残業しても追いつかないほどの業務量になった。ただでさえインシデント事故と表裏一体で緊張の連続。1年経った頃人事査定結果を聞く面談があった。前年度の個人評価が言い渡される。この時には正式に引き抜いてくれた課に配属になっていた。ただ、引き抜いてくれた課長は隣の課に異動していたので新しい課長と面談だった。この1年は正式に課を異動したわけでなく前部署に所属したままで席だけ移動して仕事していた。なので、元の課長からするとオレがどんなに頑張ったかとか把握してなくて、評価が最低ランクになっていた。最低ランクって噂では遅刻常習者で仕事もろくにやらない奴がなると聞いていたあのランクだ。今目の前にいるのは新しい課長だからこの人が評価したものじゃないから、いくら文句を言ってもしょうがない。

元の課の課長からすると隣の課に行ってしまった奴の評価を上げるより、今いる自分の部下の評価をあげた方が良いとでも考えたのだろうか。

ここで緊張の糸が切れてしまった。

 

いくら頑張っても報われない。

 

前部署の課長が急遽引き抜いてくれるなんて普通ではあり得ないし感謝しても足りないぐらいだと思ってる。でも評価は元の課長がするなんて!

それからうつがひどくなり満員の通勤電車から駅のホームに降りた時、目の前に大量の人が階段で上に登ってるのを見て怖くて歩けなくなり立ち尽くしてしまった。朝も起きる時間の何時間も前に起きてしまい、会社に行かなきゃという気持ちと行きたくないという気持ちが頭をグルグルする毎日。

 

課長から産業医と面談するよう言われた。面談すると、即翌日から長期の休みを取るよう言われた。家にいるだけで治るとも思ってないので抵抗したが、従うことになった。3ヶ月で復帰したが、緊張感を持った忙しい仕事に変わりがない。嫌いではなかったが、体は違ったようで腰痛や頭痛が襲い休みがちになった。そして産業医の指示で2回目の長期休職。1年経って仕事に復帰。その頃は有給休暇の残りもなかったので、休み無しできっちり半年働いた。で正月休みに考えた。というのも人員削減で今やっている仕事の半分を子会社のシステム開発会社に任せてクラウド型システムの管理の仕事をやることになりそうなのだ。システムの管理ってITシステム畑の中で技術を身につけた上でやることなんです。ちなみに課長と課長補佐、同僚はそのシステム開発会社から派遣されて来た生粋のシステム人間。対等に渡り合えるはずがない。システムが動かなくなった時のリスクを考えた時、畑違いのオレには想像がつかないのだ。

ある日、朝礼で他社の基幹システムのニュースが話題になった時、課長が

「あれってアベントだろ?」なんて言ってみんな普通に話を続けている。IT用語が全く分からない。

こんな世界で続けていけるとも思えなくなり、気力も無く正月明けて1週間後に課長に退職の話をして無事に退職できた。

 

その後、半年後にネット通販を始めた。売上は右肩上がりだったが、店の知名度を上げるために値下げして、広告費もかけたので赤字。そのうち店や商品に対する評価や、顧客の購入時のチャット対応、梱包や仕入れ品の検品など、忙しくなった。受注通知メールが来ると着信音が鳴るようにしていたのだが、深夜や朝方でも注文が入る。居ても立っても居られないので早朝から梱包作業をしていた。集荷に来る時間までに全て梱包しなくてはという焦りもあった。そんなある日、もう無理と思ってしまった。顧客からの評価を見るのも怖くなっていた。サイズ間違いや色間違いなども出てきたので、毎月売上高を更新していたが利益が出ないし、うつが悪化してきたので辞めることにした。

なぜ梱包を外注しなかったかっていうと、綺麗に梱包したかったから。自分でやらないと気が済まなかったので。

 

組織の中では理不尽な扱いで頑張っても報われなかったが、自営業で働いてみると、利益を出すのは難しい。いくら梱包や顧客対応を頑張っても続かない。利益が出るような体制に変えないと目先の業務を頑張っても報われないのだ。

 

最後に、繰り返しになるが、何も頑張るなと言いたいのではありません。いくら頑張って資格を取って仕事してても、ある日突然畑違いの部署に異動させられることもある。好きに働こうと自営業になっても利益を追求しなくてはならず、そのためには妥協することも必要になり、自分のこだわりが原因で利益が出せないなんてこともある。

正しい方向に頑張ることが必要だけど、それがなくなって、ぽっかり胸に穴が空いた時や緊張の糸が途切れた時、体調を崩したりうつになったりしてしまわないように、全力で頑張ってても、頭の片隅に今の仕事が全てじゃないし、変わることもあるんだと、わかっていた方がいいと思うという話でした。