2024年初閻魔…新宿区新宿 正受院 | ふぅの想いのまま…心赴くまま…

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1月16日の初閻魔…


太宗寺の次は徒歩数分の場所にある正受院へ〜🏃🏃🏃






正受院の山門

山門を入って直ぐに奪衣婆のお堂が有りますが、先ずは本堂へ〜




正受院本堂
浄土宗寺院の正受院は、明了山 願光寺 正受院と号します
文禄3年(1594年) 正受乗蓮和尚を開山として創建

正受院の奪衣婆は綿おばばと呼ばれ、民衆の信仰を集めました
幕末の会津藩藩主の松平容保が葬られた寺院でも有りますが、後に会津若松の松平家院内御廟へ改葬された為に、現在は墓石も石碑も残っていません

2月8日には、針供養大法要が行われます
本尊  阿弥陀如来




本堂扁額




堂内




本堂横には誕生仏でしょうか…





鐘楼堂
平和の鐘🔔と言われ、梵鐘は昭和17年の太平洋戦争で供出されましたが、アメリカのアイオワ州立大学内の海軍が所有していたことが判明し、昭和32年(1962年)に無事に返還されました



梵鐘の案内板





奪衣婆が安置されているお堂

正受院の奪衣婆は綿のおばばと呼ばれ、咳止めや子供の虫封に霊験があり、お礼参りには綿を奉納する習慣が有りました

嘉永元年(1848年)年末〜翌年に掛けて参詣客が正受院に押し寄せる騒ぎとなりました
あまりにも盛況だった為に寺社奉行により制限を受けて、正月と7月16日以外の参詣を禁止🚫しました

以前は閻魔大王も安置されていました
綿のおばばは、祀られてから300年程経っている様です

本像は小野篁作という伝承があり、田安家所蔵の物を同家と縁の有る正受院に奉納とも伝えられています

1945年の空襲💣🔥で、奪衣婆と阿弥陀如来は防空壕に運ばれ、布団を掛けられ無事でしたが、寺院は全焼🔥🔥して閻魔大王も焼けてしまったとの事です


奪衣婆像の案内板




お堂の扁額



奪衣婆像
藪入りですが、お堂は開扉しておらずガラス戸が2重になっているので、お堂内のだつばあの記録写真はこれが精一杯です




奪衣婆の御朱印





御本尊の御朱印
浄土宗寺院も巡っているので阿弥陀如来の御朱印を拝受しました

松平容保の墓所!?
どういうこと!?
どうも幕末まで、会津若松公の菩提寺だった様です

綿のおばばこと奪衣婆ですが、江戸時代に寺社奉行から参詣を制限される程賑わっていたとは驚きました
盛況の理由は、正受院に押し入った泥棒を霊力で捕えた事や綿に移った🔥を自ら消したという噂が広まったからだそうです
太平洋戦争の戦火🔥も潜り抜けてたなんて、さらにびっくり😱😱😱
本当に霊験あらたか…

針供養は浅草寺の淡島堂が有名ですが、正受院でも法要が行われているんですね

小さな檀家寺ですが、知らないことだらけで、新たな学びとなりました
これも、江戸44閻魔を詣でているから…

閻魔様、有難う〜🙏😁🥰