鎌倉殿の13人縁の地…鎌倉歴史交流館 無量寺跡 | ふぅの想いのまま…心赴くまま…

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鎌倉殿の13人ゆかりの地巡りの続きです
前回の記事はこちら↓


横浜市の称名寺→金沢文庫→東光禅寺→明王院→鶴岡八幡宮→岩窟不動尊→寿福寺の次は、鎌倉歴史交流館に有った無量寺跡へ行きます🏃🏃🏃




途中には、古我邸が有ります



現在では洋館をリノベーションしてレストランやウエディング👰🤵 カフェ☕を併設した施設になってます


古我邸を少し上がって行くと、鎌倉歴史交流館が有ります






この時は北条展を開催してました
時間の都合で拝観はスルー😂




鎌倉殿の13人の幟旗
安達盛長の名が入っています




鎌倉歴史交流館〜無量寺跡〜

鎌倉歴史交流館の建つ谷は無量寺谷と呼ばれ、安達氏の菩提寺 無量寿寺や甘縄の邸宅が有ったと考えられています

敷地内の発掘調査では、鎌倉時代後期の池の跡や石礎が見つかり、安達氏に関する遺構の可能性があると言われています








安達盛長(1135〜1200年)
安達十九郎盛長と称し、伊豆の流人時代から源頼朝を側近として支え、頼朝の挙兵に当り、相模国や下総国の武士達に参加を呼び掛けました

無量寺谷入口に有った盛長邸宅には、頼朝も度々訪れています

頼朝の死後は、出家して13人の御家人にも選ばれましたが、翌年に頼朝の後を追うように亡くなりました




安達十九郎盛長を演じた野添義弘さん






安達盛長は頼朝の側近中の側近でした

盛長の正室は、頼朝の乳母 比企尼の娘
そして、頼朝と北条政子を引き合わせたのも、安達盛長だったと言う話です
なるほど~

安達盛長は、源頼朝にとっても特別な存在だったのですね~

昨日の高野山金剛三昧院の講演会で、頻繁に出て来た安達氏の名前…
女人禁制の高野山に、北条政子の願いが届けられたのか…
何故 高野山だったのかが、少しずつ解き明かされてく気がしました