鎌倉殿の13人縁の地…伊勢原 岡崎城址跡 | ふぅの想いのまま…心赴くまま…

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岡崎四郎義実の墓所の次は、岡崎城址跡へ〜🏃🏃🏃









道は舗装されてます
道に沿って石垣が並行してます
岡崎城址跡の名残ですね








岡崎城址の看板と無量寺が見えてきました





無量寺の六地蔵




無量寺の寺号標




岡崎城址の案内板

平塚と伊勢原の境目、岡崎の地にあった城趾です
岡崎城址は、三浦大介義明の弟である岡崎四郎義実が、平安末期に建てた城🏯で、室町時代に北条早雲によって滅ぼされるまで、この地に存在したと言われています

その後に、本丸の跡地に建立されたのが現在もある無量寺です



宝篋印塔と三界萬霊塔でしょうか…







無量寺の本堂
無量寺は浄土宗寺院で、帰命山 寿経院 無量寺と号し、本尊は阿弥陀如来



石塔




本堂裏手に城山稲荷大明神の鳥居とお社









岡崎城址跡…
厳密に言うと、時代の違う2つの岡崎城🏯があったそうです

平安末期〜鎌倉時代の岡崎城(前期)は、岡崎公民館辺り?で、岡崎四郎義実の館跡と伝えられています

室町〜戦国期初期の岡崎城(後期)は、前期岡崎城の北側に拡がり、宝治合戦で、北条氏に滅ぼされた、三浦道寸義同の館跡だったとされています

後期の岡崎城は、北条早雲の攻撃に17年間も耐え続けた強固な城🏯だったそうです



抜け道?

小道が奥に続いていました


今の岡崎城址跡(無量寺)が岡崎四郎義実の館跡では無かったのは非常に残念では有りますが、岡崎義実が岡崎の地を守り鎌倉幕府を支え続けた功労者で有ることが良く分かった、鎌倉殿の13人ゆかりの地巡りでした


2022年11月27日

岡崎公民館→岡崎四郎義実の墓→岡崎城址跡(無量寺)を巡りました