神奈川県座間市 ひまわり畑
舟木一夫
2025ふれコンで歌った曲⑬
「五番街のマリーへ」
―後半に「武蔵野舟木組」の八王子公演報告も―
本題に入る前に―。夏を象徴するように咲き誇るヒマワリ。英語でSunflower(サンフラワー)、“太陽の花”です。和名では「向日葵」で、太陽の移動に連れて太陽を追いかけるように花が向きを変えることからきています。「日輪草(ニチリンソウ)」「日車草(ヒグルマソウ)」「日回り草(ヒマワリソウ)」などとも呼ばれます。花言葉は色、本数によって異なりますが、一般的には「私はあなただけを見つめる」でしょうか。もっとも、ヒマワリが太陽を追いかけるのは花が咲く前の新芽が伸びる時期で、先端部の葉の表面が太陽の方向を向くように茎をくねらせますが、花が咲く頃になると茎が太くなって東を向きっぱなしになります。
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本題に入ります―。舟木一夫さんが2025年6月23日(月)と28日(土)に東京、大阪で行った「ふれんどコンサート」(通称・ふれコン)で13曲目に選んだのは、ペドロ&カプリシャスが1973年10月25日にリリースした5枚目のシングル「五番街のマリーへ」(作詞・阿久悠、作曲・都倉俊一)でした。ボーカルは2代目の高橋真梨子(当時は高橋まり)さんで、後に高橋さん自身でもカバーしています。同じ年の3月10日に発売された「ジョニイへの伝言」に続く大ヒット曲になりました。 リリースから約50年たっても、心に響く名曲ですね。
五番街へ行ったならば
マリーの家へ行き
どんなくらししているのか 見て来てほしい
五番街は 古い町で
昔からの人が
きっと住んでいると思う たずねてほしい
マリーという娘と
遠い昔に暮らし
悲しい思いをさせた
それだけが 気がかり
五番街で うわさをきいて
もしも嫁に行って
今がとてもしあわせなら 寄らずにほしい
「五番街のマリーへ」の作詞、作曲は意外にも船上で行われました。1973年に船を使って1週間で日本を一周する洋上セミナーが考案され、現役のクリエイターが講師をする作詞、作曲教室が開催されました。講師として乗船していた阿久悠さんと都倉俊一さんが「せっかくだから、乗船中に1曲作ろう」ということになり、完成したのが「五番街のマリーへ」だったということです。阿久悠&都倉俊一コンビでないと出来ない技(わざ)です。
五番街は米ニューヨーク市の中心、マンハッタン島の中でもセントラルパークを約12㌔にわたり南北に縦断する4~8車線の大通りで、世界最高級の商店街のひとつ。5th Avenueと表記されます。世界3大博物館のひとつであるメトロポリタン美術館もあります。歌詞はそんな場所に住む昔同棲していた恋人、マリーの家に行って様子を探ってきてほしいと友人に頼む内容です。自分で会えないというところに複雑な心境を読み取ることが出来ます。阿久悠さん特有の歌詞です。
五番街ロックフェラー周辺の高級店と星条旗
ペドロ梅村さんが率いるペドロ&カプリシャスは1971年10月25日にリリースした「別れの朝」(作詞=ヨアヒム・フックスベルガー/日本語詞・なかにし礼、作曲=ウド・ユルゲンス)でデビュー。初代のボーカリスト・前野曜子さんが歌って週間オリコンチャートでいきなり4週連続1位を獲得し、売り上げ55.7万枚を記録する大ヒット曲になりました。これ以前にも、シャンソン歌手の大木康子さんが「夕映えの二人」、アイ・ジョージさんが「誰かが唄っている」という曲名でカバーリリースしています。
初代ボーカルの前野さんがこの曲の大ヒット後に突如グループを離脱したため、高橋真梨子(当時の芸名は高橋まり)さんが二代目ボーカルとして参加しました。翌年に「ジョニィへの伝言」や「五番街のマリーへ」などがヒット。1974年の第25回NHK紅白歌合戦に「ジョニィへの伝言」で初出場を果たしました。高橋さんは最初は1年間の約束で参加。「ジョニィへの伝言」が最初は全く売れなかったため、福岡に戻ろうとした時、急に売れ出し帰るに帰れなくなりました。そして、「五番街のマリーへ」です。
五番街へ行ったならば
マリーの家へ行き
どんなくらししているのか 見て来てほしい
五番街で 住んだ頃は
長い髪をしてた
可愛いマリー今はどうか しらせてほしい
マリーという娘と
遠い昔にくらし
悲しい思いをさせた
それだけが 気がかり
五番街は 近いけれど
とても遠いところ
悪いけれどそんな思い察してほしい
ところで、前野さんは「別れの朝」の大ヒット後、ソロに転向し「蘇える金狼」の主題歌「蘇える金狼のテーマ」などを歌い、1980年には映画「野獣死すべし」に出演。1982年から始まったテレビアニメ「スペースコブラ」のテーマも歌いましたが、そのうちアルコール依存症が深刻化し、1988年7月31日、心不全のため亡くなりました。40歳という若さでした。訃報については、3年後に「女性自身」(1991年4月23日号)が初めて報道しました。
一方、高橋まりさんは1978年にヘンリー広瀬さんと共に「ペドロ&カプリシャス」を脱退。「高橋真梨子」の芸名でソロ歌手としての活動を始め、「あなたの空を翔びたい」でソロデビューしました。以前にも書きましたように、舟木さんが今年のふれコンでも歌った「桃色吐息」がソロ独立7年目にして初の大ヒット曲になりました。1993年にはヘンリー広瀬さんと結婚。自ら作詞活動を始めるなど活躍の場を益々広げています。ソロ活動をスタートさせてからこれまでに2826公演を行ない、730万人を動員してきたということです。
高橋さんが昨年10月から今年5月まで約7か月かけて全国9都市で実施した21公演のうち、5月8日に東京国際フォーラムで開催した公演の模様がBlu-ray、DVD、CDの3形態で10月8日に発売されます。高橋さんは「1993年8月5日にバミューダ諸島で(夫のヘンリー広瀬氏と)入籍してから今日で32年を迎えました。その前から一緒に暮らしていましたが、お互いいよいよいい歳になってきました。先日初めて二人だけで温泉旅行をしてきました。まさにフルムーン!!」と報告しています。
「五番街のマリーへ」はその後、日本の歌手ではちあきなおみさん、アグネス・チャンさん、石原詢子さん、岩崎宏美さん、杉田次郎さん、SPEED、南沙織さん、ピーターさん、堀内孝雄さん、桑田佳祐さんらにカバーされています。
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舟木さんの八王子公演について、さすらいさんが書かれた「武蔵野舟木組」のブ
ログを掲載させていただきました。「徹子の部屋」のこと、「浜田光夫ディナーシ
ョー」のこと、バンドABOUT・9の皆さんを紹介されたことなどが書かれていま
す。和泉雅子さんの話は出なかったそうです。ステージで話すのは相応しくない と仰っていましたからね。
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見開き2ページ“浅草公会堂”を激写

21日(木)に発売された月刊「歌の手帖」10月号の“音ステージ”欄に舟木一夫さんが登場。7月23日(水)から25日(金)まで東京・浅草公会堂で行われたコンサートの模様が、見開き2ページ(カラー面)で報じられています。記事によると、「楽しくスペシャルなステージで、絶好調な歌声だった」などと記されています。
「舟木一夫 出会いと別れの80年⑦」は栗山章
月刊「おとなのデジタルTVナビ」は22日(金)に発売されます。連載中の「決定版 舟木一夫 出会いと別れの80年」の7回目は、元日本コロムビアディレクターの栗山章さんです。舟木さんがデビュー前から二人三脚でスター歌手に上り詰めた原動力です。お楽しみに。








