門倉有希さんオフィシャルサイトより

 

門倉有希さん~葬儀・告別式に参列

―歌手仲間、一般のファンら約200人が参列―

 

―神野美伽のオフィシャルブログも―

―後半に第64・65回「オードリー」―

 

 本題に入る前に―。アジサイ(紫陽花)は梅雨時の6月上旬から7月上旬ごろが見頃です。花の色は土の酸度によって変化し、アルカリ性でピンク、酸性で青になります。アジサイ科アジサイ属の落葉低木で、樹高は30㎝から2m。アジサイの名は“真の藍色の花が集まる”という意味で、「集(あず)+真(さ)+藍(あい)」が転訛(てんか)したと言われています。国内で見られる最もポピュラーなアジサイは「ホンアジサイ」で、小花が密集して咲くことから「手毬花(てまりばな)」とも呼ばれます。色ごとの花言葉は「青=辛抱強い愛情」「ピンク=元気な女性」「白=寛容」です。

 

 

 

 本題に入ります―。2024年6月6日に50歳の若さで亡くなった演歌歌手・門倉有希(本名・金田充恵=かねだ・みつえ)さんの葬儀・告別式が12日(水)の通夜に続いて、13日(木)午前10時半から東京都大田区東海の臨海斎場で営まれました。喪主は夫の金田大(かねだ・きさる)さん。祭壇には真っ赤なバラと白いトルコキキョウとともに、ラストシングル「幸せの分かれ道」のアーティスト写真が飾られ、棺の中の門倉さんはこの時と同じ衣装姿で、顔にはステージの時と同じメイクがされていました。

 

 告別式には大石まどか、岩本公水、水田竜子、おかゆさんら歌手仲間や一般のファンら約200人が参列。12日の通夜には伍代夏子、長山洋子、氷川きよし、西尾夕紀さんら歌手仲間をはじめ芸能プロダクション関係者ら約300人がかけつけ、4月に活動再開を発表したばかりの氷川さんは、歌手を目指すきっかけになった憧れの門倉さんの写真集を手に最後の別れを告げて号泣していました。門倉さんの戒名は「歌楽院真心一路恵愛清大姉」。

 

 

 告別式では門倉さんの“産みの親&育ての親”の音楽プロデューサー・境弘邦さんが遺影に語り掛けるように弔辞を述べました。境さんは、門倉さんは自分が審査委員をしていたオーディションで落ちた可能性があったのを越権行為で無理やり合格させたというエピソードを披露し、「ずっとうるさかっただろうけれど、福島から出て来た有希を親代わりとして厳しく育てました。30年やってきて幸せに出来たのかなということを昨夜ホテルで眠れず自問自答しました。それでも幸せな人生だったと信じて今日はお別れしたい。有難う、有希。さようなら、有希。安らかに」と偲びました。

 

 弔辞が終わった後の式場に門倉さんの大ヒット曲「ノラ」が流れ、弔問客のすすり泣く声も聞かれました。出棺時にはラストシングルのカップリング「ラナンキュラス」のBGMが流されました。今日は追悼の思いを込めて、在りし日の「門倉有希」を綴ります―。

 

 

 私は門倉有希さんのことを「有希ちゃん」と呼んでいました。産経新聞記者時代から最初の事務所の社長である境さんとご縁があって、彼女とはデビュー前からの知り合いで、乳がんを患う以前は当時のマネジャーを入れてしばしば食事をご一緒したり、年末のディナーショーに参加させてもらったり、メールでのやり取りもしていました。食事をしたときは、猫が待つ都内のマンションまでタクシーで送って行きました。何年か前に彼女のパーティーに呼んでいただき、金田さんとご一緒の有希ちゃんにお会いしたのが最後になりました。

 

 有希ちゃんと初めてお会いしたのは、東京・六本木にあった事務所の応接室。デビュー曲の「鴎…カモメ」(作詞・荒木とよひさ、作曲・浜圭介)は出来上がっていましたが、まだデビュー前でした。当時の事務所の社長は境さん。日本コロムビアで制作部長、宣伝部長を歴任、美空ひばりさんの総合プロデューサーを務められた後、次の人生をかけると言って発掘されたのが有希ちゃんでした。自ら所属していたコロムビアのオーディションの審査員をしていた際、都はるみさんの「女の海峡」を歌った彼女の歌声に魅かれたのがきっかけでした。

 

 

 事務所に伺った際、境さんは当時19歳の有希ちゃんに「デビュー曲を聴いてもらいなさい」と言って、私の目の前で赤ペラで歌わせました。私はあのハスキーボイスと、都はるみ二世と言われた“独特の唸り”に聴き惚れていたのを覚えています。境さんは有希ちゃんに声を出して本を読ませ、毎日ピアノで音感を確認させていました。それから間もなく、1994年2月23日に20歳でデビューすると、あっという間に“注目の新人歌手”になりました。それでも、境さんはカラオケの入ったラジオカセット1台を持ち、全国のレコード店回りをさせて赤ペラで歌わせていました。

 

 新人賞間違いなしと言われた矢先、有希ちゃんは先ほど話した高校二年の時のオーディションで知り合い、東京で同棲していた同い年の男性と失踪騒動を起こします。それまでにも突然いなくなることは何度かありましたが、今度ばかりは境さんも怒り、半年間の自宅待機を命じました。有希ちゃんに演歌に出合うきっかけを作った祖父らが待つ故郷・福島県須賀川市の実家に戻りました。公には「精神的疲労」が理由の休養でした。実家は酒屋で、有希ちゃんは3歳の頃から地下の倉庫で西田佐知子さんの「アカシアの雨がやむとき」などを歌っていました。

 

 有希ちゃんは半年後、境さんに「もう一度歌わせて欲しい」とお願いして復帰します。1996年に第6回NHK新人歌謡コンテストに出て「女の漁歌」(作詞・荒木とよひさ、作曲・浜圭介)を歌いグランプリ受賞。特典によって年末の第47回NHK紅白歌合戦に初出場して同じ「女の漁歌」を歌いました。“紅白歌手”という勲章を手にしました。そして1998年8月、木下結子さんの隠れた名曲「ノラ」(作詞・ちあき哲也、作曲・徳久広司)をカバーした8枚目のシングルで80万枚を超えるロングヒットを達成しました。有希ちゃんの代表曲になりました。

 

 

 有希ちゃんがデビュー直後くらいに須賀川市で行った凱旋コンサートに同行したことがあります。1日に2回(3回?)の公演だった記憶がありますが、その中で有希ちゃんがピアノを独奏するコーナーがありました。ところが、有希ちゃんはいずれの公演でも全く同じ箇所を弾き間違えました。1回目の失敗の後、何度も練習して周りも“大丈夫”のお墨付きを出していました。ああそれなのに…。二度の失敗にも、周囲の心配にも、本人はさして気にしていません。有希ちゃんという歌手は、そういう憎めない女性でした。

 

 3枚目のシングル「どん底/ひまわり」(作詞・荒木とよひさ、作曲・浜圭介)をリリースする際、「どん底」と「ひまわり」のどちらをA面にするかという議論がありました。結局、「どん底」をA面にしましたが、その後、「ひまわり」は「ノラ」のB面、そして2017年7月には「景子」のA面として再リリースしています。境さんはじめスタッフにとって、それほど思い入れのある曲でした。私はポルトガルの港町・ナザレを舞台に、海に出たまま帰らない夫を待つ妻の思いを込めた「ナザレの舟唄/嘆き節はやめにして」(1998年2月。作詞・阿久悠、作曲・浜圭介)がいたく好きで、有希ちゃんに「こういう歌もいいね」と伝えた記憶があります。

 

 

 

 有希ちゃんは無類の猫好きで、一般社団法人「日本ペット技能検定協会」認定の「小動物看護士」と「小動物介護士」の資格を持ち、2015年5月8日には猫共生型マンションの一室で一緒に暮らす8匹の猫との生活を綴った「長生きねことの暮らし支度」(PHP)というエッセイまで出版しました。そして、2016年3月16日には作曲家・三木たかしさんの未発表曲「恋猫」(作詞・友利歩未)を、元NHKアナウンサーの宮本隆治さんとのデュエット曲としてリリースしました。そんな縁で、宮本さんは告別式で司会を務め、スムーズに進行されていました。

 

 

 有希ちゃんは2018年夏ごろに胸部に異常を感じ、市販の薬を飲みながら仕事を続けていましたが、2019年2月に貧血で倒れて緊急入院した際の精密検査で、乳がんが発覚しました。主に放射線治療を行い、6月にコンサート復帰しますが、その後、週に一度の抗がん剤治療を始めたものの、「私には歌の仕事しかない。がんに負けるわけにはいきません」と言って歌い続け、2020年3月には故郷・須賀川市でコンサートを開催しました。

 

 そして、2022年10月に新曲「幸せの分かれ道」のプロモーションでイベントを行った後、12月の「金沢明子&門倉有希Xmasジョイントランチショー」をもって音楽活動を休止します。それ以降は入退院を繰り返しながら治療を受けていました。今年6月初めから都内の病院に入院していましたが、6日早朝に容体が急変したといいます。事務所社長で夫の金田大さん(54歳)も死に目に会えなかったといいます。有希ちゃんは今年5月22日、「歌手生活30周年記念ベストアルバム」をリリースしたばかりでした。

 

 

 

 

 

■ 

 

下は森山愛子さんが12日(水)にUPされたオフィシャルブログです。

♡ ♡ ♡

 

下は神野美伽さんが13日(木)と14日(金)にUPされたオフィシャルブログです。

★ ★ ★ 

 

 

お駒役だけが未決定のままで…

 

 64回。台本は完成しましたが、錠島(長嶋一茂)が演じる夢死郎に斬られるお駒を誰にするか決まりません。黒田(國村隼)に聞かれ、関川(石井正則)は樹里(井元由香)を推し、杉本(堺雅人)は「企画段階から吉岡美月(岡本綾)でイメージは固まってます」と言います。黒田の指示で、お駒を空欄にして配役が発表になり、台詞をもらった大部屋俳優たちは喜んでいますが、配役のない樹里と美月は居心地が良くないです。

 

 幸太郎(佐々木蔵之介)は、この役は美月だと決めてかかって、美月に夢死郎に斬られるお駒の気持ちを考えて早く役作りするように言います。「まだ決まっていませんから」と言っても分かってもらえない美月は、錠島のアパートに行きます…。

 

 65回。夜、錠島のアパートを訪れた美月と、会いたくて待っていた錠島。二人は一つの布団の中にいます。美月が「帰る」と言うと、錠島が「泊って行けよ。俺が一番大事じゃないのか」。美月は「また来るから。毎日来るから」と言って帰ります。

 

 その頃、雀蓮(三林京子)の庵では、黒田と関川が駒の役は誰がいいか問い詰め、雀蓮のお告げは「美しき月」。黒田が滝乃(大竹しのぶ)に、美月が駒の役に決まったと話すとガッカリされます。滝乃は椿屋に帰ってきた美月を見て、錠島と何かあったに違いないと思い、愛子(賀来千香子)とも意見が合致。愛子は美月の部屋に行って「美月が選んだ人なら信じたいけど、妊娠したらダメよ。ママをがっかりさせないで。仕事もしっかりやりないさいよ」と言うと、美月は笑顔で「ママ、有難う」。

 

 翌日、殺陣の稽古をしている大部屋俳優たちの所へ、関川と杉本が現れ、関川が「駒のキャスティングを発表します。駒は吉岡美月。以上」と伝えます。離れる樹里の後をトラ(菊池隆則)らが追い、残ったと錠島と美月に杉本が゜二人のシーンは冒頭のワンシーンだけど重要なシーンだ。よく読み込んでおいて欲しい」と話します…。

 

 

舟木一夫2024年コンサートスケジュール

 

 

☆青春賛歌 目次【1】2022年6月~

☆青春賛歌 目次【2】2023年1月~

☆青春賛歌目次【3】2024年1月~