小田原城と桜

 

舟木一夫~2024年コンサート曲㉖

君たちがいて僕がいた

 

―後半に14回から16回の「オードリー」の話題―

 

 

 

   本題に入る前に―。紀元前6世紀ごろに中国で成立した二十四節気では、日本の季節の変わり目の変化が十分につかめないということで、日本の季節に合わせて新たに作られた暦が「雑節」です。節分、八十八夜、入梅、二百十日、彼岸、土用…など。このうち「土用」は立春、立夏、立秋、立冬の前約18日間ずつ計約72日間を言います。2024年の春の土用入りは4月16日(火)から5月4日(土)で、5月5日(日)に立夏になります。この期間を過ぎると季節は春から初夏に移り変わっていきます。ウナギを連想させるのは夏の土用です。土用はどの季節も期間中に土をいじることは良くないと伝えられ、新居購入や就職・転職、結婚・結納なども縁起が悪いと言われています。 

 

 

 

神野美伽さんとJCのリハーサル

 

 神野美伽さんのブログによりますと、4月17日(水)に5月2日(木)から8日(水)まで大阪・新歌舞伎座で行う舟木一夫さんとのジョイントコンサートのリハーサルを行ったそうです。4月18日(木)も舟木さんとリハーサルを続けるということです。神野さんは「すごく良い感じなりますよ😊💕」と報告されています。   

 

 

 4月18日(木)の2日目のリハーサルも無事に終了したということです。舟木さんにとっては大成功させたいジョイントコンサートですから、二人の“呼吸”という面に気を使っておられたようです。

 

 

君たちがいて僕がいた [EPレコード 7inch]

 

 本題に入ります―。舟木一夫さんが2024年通常コンサートの26曲目に選んだのは、1964年3月にリリースした「君たちがいて僕がいた」(作詞・丘灯至夫、作曲・遠藤実)でした。この曲のポイントは3つあります。①舟木さんの曲で初めて台詞が入った②舟木さんの学生服姿の最後の曲になった③ジャケットに舟木さんと共に本間千代子さんの写真が入った―ことです。もっとも、舟木さんがステージで“ナマの声”で台詞を入れて歌うことはほぼありません。

 

 清らかな青春 

 爽やかな青春

 大きな夢があり

 かぎりないよろこびがあった

 はかない希みがあり 

 つらい別れもあった

 そんな時はいつも…

 母にも似た 優しい 目差しの

 君たちがいて そして 僕がいた

 

 

 「君たちがいて僕がいた」と同じ3月に「涙の敗戦投手」(作詞・丘灯至夫、作曲・戸塚三博)がリリースされています。ジャケット写真の舟木さんははいずれも学生服姿です。しかし、「涙の敗戦投手」のB面に「さらば古い制服よ」(同)が収められていることが、“これが最後の学生服姿”を予感させます。実際、4月の「貝がらの唄/東京新宿恋の街」を挟んで6月にリリースされた「まだ見ぬ君を恋うる歌」(作詞・丘灯至夫、作曲・山路進一)では、ラフな白い開襟シャツ姿になりました。

 

涙の敗戦投手 [EPレコード 7inch]

 

 この頃は映画各社が“青春路線”に乗り遅れるなと走り出した時期です。本間さんが属する東映も例外ではありませんでした。その第一作に選んだのが、舟木さんの「君たちがいて僕がいた」でした。監督は鷹森立一さん、公開は1964年5月23日です。舟木さんの共演者は本間さん。本間さんは「恋と太陽とギャング」(石井輝男監督・1962年3月21日公開)でデビューして以来、20本以上の映画に出演している“若手ベテラン女優”でしたが、それまでの出演作はいかにも東映といった映画でした。

 

君たちがいて僕がいた

 

恋と太陽とギャング

 

 この映画を契機に、本間さんは“東映の青春映画のスター”として脚光を浴び始めることになりました。映画には、本間さんの「愛しあうには早すぎて」(作詞・丘灯至夫、作曲・山路進一)が挿入歌として流れますが、このレコードジャケットには学生服姿の舟木さんが背景に映っています。舟木さんの「君たちがいて僕がいた」の淡い緑のジャケット写真の左横にうっすらという感じで映っている本間さんと一対のデザインになっているわけです。大変面白い試みでしたね。

 

【中古レコード】本間千代子/愛しあうには早すぎて/海ほうずきの頃[EPレコード 7inch]

 

 ところで、舟木さんと本間さんは1963年6月に放送されたTBSテレビの「ロッテ歌のアルバム」(司会は玉置宏さん)で初共演した後、10月から同じTBSラジオのトーク番組「夢の青春コンビショー」(毎週土曜日放送)で翌年3月までの半年間、二人でDJを務めました。番組では月1回、都内の学校を訪問して生徒たちと語り合うコーナーがあり、舟木さんの母校・自由が丘学園を訪ねた時は、最後に全員で「高校三年生」を大合唱しました。二人とも19歳から20歳にかけての頃です。

 

東京・自由が丘学園

 

 舟木さんは1964年3月1日から8日まで、東京・浅草国際劇場で初の「舟木一夫ショー」を行いましたが、その際も本間さんが特別出演して「愛しあうには早すぎて」と「純愛の白い砂」(作詞&作曲・米山正夫)を歌いました。二人はショーの合間にこっそり浅草国際を抜け出し、近くの隅田公園(墨田区)で映画「君たちがいて僕がいた」のスチール写真を撮り、ショーが終わった2日後から撮影を始めるという強行スケジュールでした。

 

隅田公園の桜

 

 

 ちなみに、本間さんは1945年1月29日、長野県伊那市に生まれ、終戦後に東京に移り、複数の児童合唱団を経て小学5年からコロムビアの専属童謡歌手に。中学になると、義兄の冨田勲さんの推薦で東映東京撮影所を経て高校卒業後に東映に入社した後、1966年8月に守屋浩さんと結婚。離婚後に幼馴染の音楽プロデューサー・ひのきしんじさんと再婚し、女優・歌手を引退。 作詞家・あたらしかずよとして五木ひろしさんのために書いた「熱愛」で1978年の日本作詞大賞を受賞しています。

 

 

本間千代子 ゴールデン☆ベスト

 

 

 
 
 

 

 

 

 

★ ★ ★

 

14回目はスーツ姿のクリキンが登場

 

 大京映画のワンマン社長・黒田(國村隼)が「椿屋」で、大事な接待だからと滝乃(大竹しのぶ)に、美月(大橋梓)にも顔を出してもらうよう頼む。そこへ美月がお気に入りのクリキン(舟木一夫)がスーツ姿で現れる。美月は素顔のクリキンは初めてだったためすぐに気づかなかったため、クリキンは例の手品をして見せて分からせます。

 

 黒田にとっては、テレビ出演への依頼をするための接待でしたが、クリキンは用意している懐石料理を断り、黒田に「活動写真の話をしに来た。大京を共に支えて来たお前だからサシで話をしたい。原点に立ち返った骨太の写真が必要だと思わないか。ワシは時代に捨てられたのか。お前の気持ちが分からん。もう少し時間をくれ」と言って立ち去ります。

 

 黒田はモモケン(林与一)にもテレビに出てもらうよう頼みますが、モモケンは「私が大事にしているのはお金を払って観に来てくれる客や」と言って、タダで見られるテレビに出るくらいなら舞台を選ぶと言い、「ワシはワシの道を行くだけや」と切り捨てます。クリキンよりテレビ拒否の姿勢は強硬です。 

 

 その間、美月は「私の夢」という絵を描く宿題で撮影所の絵を描いていました。それを見た滝乃は「撮影所は夢みたいな所やない。 お嫁さんの方がええんと違う?」と言って花嫁の絵に描き直すよう説得します。描き直した絵を見た愛子(賀来千香子)は美月に「これが一番の夢?  これからは結婚は目的じゃなくてプロセスなの」と言う。

 

 美月はママに「怒らんといて、お母ちゃまのことを」と泣いて懇願しますが、滝乃に言われて描き直した絵を破いて、滝乃に「あたし、やっぱり映画の絵を描きたい。お願い」と言うと、滝乃は「分かったわ。好きにしなさい。お母ちゃまが困らせてしまったみたいね。ごめんね」と謝ります。

 

 舟木さん、現代劇の俳優としても台詞回しなど最高ですね。日曜日のBSNHKで1週間分まとめて放送されますから、見逃された方は是非是非ご覧ください。

 

15回目もクリキンと美月の会話がありました

 

 パパの春夫(段田安則)が宿題の絵を描いている美月(大橋梓)の部屋に来て、お母ちゃまの滝乃(大竹しのぶ)とママの愛子(賀来千香子)が違うことを言うのに対して、「オードリーの人生はオードリーのものや」と諭します。美月は頭が混乱して、「やめて!!」と言いながら倒れて寝込んでしまいます。

 

 滝乃は春夫と愛子を部屋に呼び出し、「3人が違う意見言うの、やめたほうがええわ。3人が力合わせて守ってあげな。私の考えが違うと思ったら、直接私に言って。お願いします」と二人に頭を下げて頼みます。その晩、愛子は家に帰らず、滝乃と朝まで美月に付き添いました。

 

 美月の撮影所を描いた「私の夢」は優秀賞に選ばれ飾られます。それを見て喜んだ美月は大好きな撮影所に行きます。撮影所の子供たちからは「ここは外から見たら天国かもしれんけど、ほんまは地獄や。お前みたいなお嬢さんが来るとこと違う」と言われますが、美月はクリキン(舟木一夫)を見つけると駆け寄ります。

 

 クリキンは美月に「この姿もあとわずかだ。よーく見といてくれよ」と語り掛け、周りのスタッフらに「この子は俺がぞっこん惚れてるガールフレンドや。くれぐれも粗相のないように!」と伝えたものだから、御大の言葉の重みから美月は撮影所で“特別扱い”されるようになります。

 

 場面変わって「椿屋」の前。従業員の君江(藤山直美)が「高校三年生」を口ずさみながら水まきをしています。そこへ大京映画のスタッフの杉本(堺雅人)が現れ、美月にもう一度出演して欲しいと伝えます。間もなく、美月が「椿屋」に帰ってくると、滝乃から「どこへ行ってたの?」と聞かれ、美月は「今週、お掃除当番なの」とウソをつきます。

 

 ナレーションが流れます。「何より私を開放してくれる撮影所に行くにはウソをつくしかなかった」―。

 

16回目はクリキンの登場はありませんでした

 

 美月(大橋梓)の11歳の誕生日。お祝いに集まった友達に、滝乃(大竹しのぶ)が“お母ちゃま”としてケーキを持った現れます。愛子(賀来千香子)が母親だと思っている友達は「お母ちゃん二人いるの?」と不思議がります。

 

 滝乃は「私は若いおばあちゃんだから、お母ちゃまと呼ばせているのよ」と説明し、愛子も美月も安心します。愛子と美月は部屋で原稿を書き続けているパパ・春夫(段田安則)がこの場に現れないことを祈っていましたが…。

 

 春夫は8ミリカメラでみんなを撮影しながら現れ、美月の表情が嫌な顔に変わります。春夫は「オードリーどうしたんや、スマイルやスマイルや」と言いながら、美月の横に来てテープレコーダーを回しながら美月に英語でインタビューします。

 

 愛子は「男の人と堂々と肩を並べて生きていける女性になって下さい」などと書いた手紙を、滝乃は着物をプレゼントしますが、美月は「誕生日をメチャメチャにしたパパやったけど、パパからもらったカメラだけは最高やった」と喜びます。

 

 美月はカメラを持って大京映画の撮影所に行ったり、家族の写真を撮ったり…。パパだけは原稿を書いている後ろ姿、自分はカメラをかまえて鏡にうつった姿を撮影しました。

 

 

 

 

 

 

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☆青春賛歌 目次【1】2022年6月~

☆青春賛歌 目次【2】2023年1月~

☆青春賛歌目次【3】2024年1月~