舟木一夫~2024年コンサート曲⑤

花咲く乙女たち

~俳優として本格的に映画に取り組む~

 

花咲く乙女たち/若き旅情[EPレコード 7inch]

 

 本題に入る前に―。2月15日(木)。気象庁は関東地方と北陸地方で「春一番」が吹いたと発表しました。関東では昨年より14日早い発表でした。「春一番」には基準があります。立春から春分までの間で、日本海に低気圧があって最大風速が8m以上の南寄りの風が吹いて昇温した場合です。春分後も寒さが残る北海道や東北、立春前から南風が吹く沖縄、盆地の長野、山梨では吹くことがないそうです。いずれにしても、春一番が吹けば「春はもうすぐそこ」ということになります。

 

 

 舟木一夫さんが2024年通常コンサートの5曲目に選んだのは1964年9月にリリースされた「花咲く乙女たち」(作詞・西條八十、作曲・遠藤実)でした。以前にも書きましたが、この歌は西條さんが「高校三年生」をヒットさせた弟子の作詞家・丘灯至夫さんに「俺にも舟木君の歌を書かせろよ」と話したのを知ったコロムビアのディレクター・栗山章さんを通して生まれました。西條さん72歳、舟木さん19歳です。

 

 

 西條さん作詞の舟木さんの歌は、1964年3月にリリースした「さあさ踊ろよ」(作曲・市川昭介)がありますが、この歌は舟木さんのほか、青山和子さん、草野士郎さん、二代目コロムビア・ローズさん、本間千代子さんの5人が一緒に歌ったもので、西條さんが舟木さんだけのために書いたものではありません。「花咲く乙女たち」は舟木さんにとって「まだみぬ君を恋うる歌」に続く“恋愛歌”になりました。

 

 

 「花咲く乙女たち」で西條さんは、街行く乙女たちを「カトレア」や「鈴蘭」「忘れな草」などの花々に見立てています。自分が若い頃は舟木君のように女性の憧れの的で、書斎が贈り物の花束でいっぱいだったが、彼女たちも花のようにいつか散ってしまう……。挨拶のために初めて訪ねて来た舟木さんに好感を持った西條さんは、そんな思いを込めて「花咲く乙女たち」を書きあげたと言います。

 

 

 

 西條さんは以前から「花物語」「悲しき草笛」「夕月乙女」など少女小説シリーズを書いていたほか、1936年には自ら作詞した歌謡曲「花言葉の唄」(作曲・池田不二男、歌・伏見信子&松平晃)をヒットさせています。舟木さんも好きだったようで、2014年12月にリリースされたアルバム「トップスター昭和名曲大全集戦前編1」の中でこの歌を歌っています。

 

 

AG454c●少女小説 「悲しき草笛」 西條八十 昭和23年 装幀挿絵:大槻さだお 古書

 

少女小説 夕月乙女 西條八十 ポプラ社

 

 


決定盤::トップスター昭和名曲大全集 戦前編1 ~影を慕いて・人生の並木路~ [ (V.A.) ]

 

 

 西條さんは1970年8月12日、東京・成城の自宅で亡くなりました。78歳でした。西條さんの最晩年に舟木一夫という“抒情歌手”と巡り合ったことは、新しい発見があったという意味で幸せだったと思いますし、舟木さんにとっては歌手として新しい分野を切り開いたという大きな成果がありました。今も現役歌手で西條さんからいただいた作品を歌い続けているのは舟木さんだけです。

 

帯付LP 舟木一夫 西条八十の世界を歌う 日本の四季 カラーポートレート付 見開きジャケライナー レコード

 

 「花咲く乙女たち」の大ヒットを受け、同名の日活映画の打ち合わせが1964年の大晦日から始まりました。撮影は舟木さんの故郷・愛知県一宮市の隣の尾西市などの“織物の町”を中心に展開されました。監督は舟木さんが日活映画「仲間たち」(1964年3月14日公開)で知り合った柳瀬観さんでした。この映画で柳瀬さんと気が合った舟木さんは「花咲く乙女たち」のために20日間のスケジュールを空けて臨みました。

 

花咲く乙女たち

 

仲間たち

 

 映画は1965年1月24日に公開されました。共演は日活映画「美しい十代」で映画デビューしたばかりの西尾三枝子さん、半年ぶりに再会した山内賢さん、ザ・スパイダースの堺正章さん、田代みどりさん、伊藤るり子さんら。「花咲く乙女たち」のB面の「若き旅情」(作詞・西條八十、作曲・遠藤実)は映画の挿入歌として使われました。舟木さんはこの作品から俳優として映画にも本格的に取り組むようになりました。 

 

美しい十代

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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