舟木一夫と西條八十

~組曲「日本の四季」の“歴史”~

 

花咲く乙女たち/若き旅情[EPレコード 7inch]

 

 冬来たりなば春遠からじ―。気象庁はきょう2024年1月31日(水)の東京の最高気温を14、5度と予報しています。「春隣(はるとなり)」という言葉もあります。春はもうすぐそこという感じです。能登半島地震の被災者の皆さまにとっても、苦難の時を乗り切って新しい希望の時期を迎えられるように祈りたいです。

 

 

 舟木一夫さんが1964年9月にリリースしたデビュー以来18枚目のシングル「花咲く乙女たち」(作編曲・遠藤実)は、“作詞・西條八十&歌・舟木一夫”の最初の作品です。同年9月9日には日活で映画化(監督・柳瀬観)もされました。舟木さんにとって、西條さんとの出会いは歌手としてばかりではなく、人生の上でも大きな財産になっていきます。この歌は今も、コンサートでは欠かせない歌になっています。

 

花咲く乙女たち

 

 出会いのきっかけを作ったのは、まだ20代後半だったコロムビアの舟木さんの最初の新人ディレクター・栗山章さん。学生時代に日欧の近代文学にはまり、アルチュール・ランボーを日本に紹介した仏文学者としての西條さんから多くを学んでいましたが、西條さんが歌謡曲の作詞もしていることを知っていたため、いつか舟木さんの歌の作詞をお願いしたいと考えていました。

 

作家時代の栗山章さん

 

 西條さんは舟木さんのデビュー曲「高校三年生」が大ヒットした時、舟木さんの雰囲気が自分の作風に合っていると思っていました。ある日、デビュー曲を作詞した西條さんの弟子の丘灯至夫さんに「お前、いい歌作ったな。俺にも舟木君の歌を書かせろよ」と持ち掛けました。この話を丘さんから聞いた栗山さんは早速、西條さんと連絡を取り、挨拶を兼ねて舟木さんとともに東京・成城の西條宅を訪ねました。

 

 

 この場のやり取りは拙著に譲りますが、栗山さんはマルセル・プルーストの小説「花咲く乙女たちのかげに」を挙げ、西條さんに「花咲く乙女たち」というタイトルを提案しました。これに対して、西條さんは“自分が若い頃、舟木君のように女性の憧れの的で書斎が贈り物の花束でいっぱいだったが、彼女たちも花のようにいつか散ってしまう…”。そんな思いを込めて「花咲く乙女たち」を書きあげました。

 

プルースト、1900年(29歳)Wikipediaよりー

 

失われた時を求めて 3 第二篇 花咲く乙女たちのかげに 1 (集英社文庫)

 

 西條さんはすでにこの頃から扁桃腺がんの手術のために入退院を繰り返していましたが、舟木さんが東京・明治座で「新吾十番勝負/日本の旋律・荒城の月」を演じていた1970年8月12日午前4時30分、急性心不全のために亡くなりました。1969年春以降は、十分に声を出せない状態になっていたということです。「絶唱」のリリースは1966年8月、「夕笛」は1967年8月でした。

 

 

 社会学者の筒井清忠さんは著書「西條八十」(中公叢書)の中で、西條は「花咲く乙女たち」に見られるように「生涯この喪失感の悲哀美を歌い続けた詩人」であり、舟木の「絶唱」を通して「『純愛』の“死に水”をとりつつあった」と述べ、「夕笛」で「初恋の傷心をうたう地点にもどったところが八十の最後のヒット曲となった地点であった。それを最後の抒情派歌手舟木一夫が歌ったわけである」と記しています。

 

絶唱 [EPレコード 7inch]

 

夕笛 [EPレコード 7inch]

 

 栗山さんは「絶唱」がヒットした時、「西條先生から“あなたは私の晩年を飾ってくれました”と言われて嬉しかった」と話し、最晩年は面会謝絶の病室にも通してもらいましたが、側には風流な感じの美女が複数付き添っていたと言います。西條さんが亡くなったまもなく、長女から舟木さんの元に西條さんの遺品が送られてきました。長女宛てのメモには「一切手を付けずに送るように」と書かれていたということです。

 

 

 

 「作詞・西條八十、作曲・船村徹」による組曲「日本の四季~春、夏、秋、冬」についても触れておきます。2023年11月16日に東京国際フォーラム・ホールA(下の写真)で行われたツアーのファイナルコンサートで、17分にわたって歌いました。舟木さんはそれより以前の2017年11月5日に東京・中野サンプラザで行われた55周年記念ツアーのファイナルでも45年ぶりに歌っています。

 

 

 実は、舟木さんがこの組曲を最初に歌ったのは1966年7月1日から3日まで、東京・サンケイホールで行われたデビュー3周年記念リサイタルで「日本情緒への幻想」として歌われています。その次が1969年11月1日(東京・サンケイホール)と15日(大阪・厚生年金会館大ホール)で行われたリサイタル「舟木一夫とあなた」で、1部で「彼と組曲…」として「日本の四季」と「冴子よお前は」を歌っています。

 

 

 組曲「日本の四季」は1972年6月にアルバム「日本の四季 西條八十の世界を歌う」として初めてLP化され、1993年4月にアルバム「こころのステレオ その人は昔~東京の空の下で~」、アルバム「暦 12ケ月の愛の詩」とともにCD化されています。また、2017年1月25日には「芸能生活55周年記念 舟木一夫CDコレクション前編 名作家達によるオリジナル全集」として収録されています。

 

 

 

 

 

 作曲した船村徹さんは1972年春、日本列島に沿って太平洋上を南下する船の中で、「この作品を書きあげてから7年余りにもなるのであるが、何故か、今日迄レコード化されずに埋もれていた。当時は西條八十先生も御健在であり<日本の四季>折り折りの美しさ、厳しさ等を語り合ったものであった。舟木一夫君という、植物的な声質を持った青年歌手の存在が、私のこの作品のイメージをまとめさせた事は事実である」と綴っています。

 

船村徹 日本コロンビアオフィシャルサイトより

 

 

 また、もう1曲の組曲「冴子よお前は」は“作詞・高峰雄作、作曲・山屋清”となっています。高峰雄作は舟木さんのペンネームです。この組曲は1969年4月27日に東京・サンケイホールで行われた「ブルースの夕べ」で歌われた後、1970年8月1日から東京・明治座で行われた1か月公演のヒットパレード、1976年8月8日に東京・イイノホールでの第1回ふれんどコンサートで披露しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

☆青春賛歌 目次【1】2022年6月~

☆青春賛歌 目次【2】2023年1月~

☆青春賛歌 目次【3】2024年1月~