舟木一夫と本間千代子㊤

  

 本題に入る前に―。昨日1月25日は「日本最低気温の日」でした。1902年の1月25日に北海道旭川市で日本の最低気温の公式記録「マイナス41.0度」を観測しています。その後、1978年2月17日に北海道幌加内町母子里(ほろかないちょうもしり)でマイナス41.2度を観測しましたが、気象庁の公式記録の対象から外れていたため採用されませんでした。それでも、幌加内町では2月17日を「天使のささやきの日」に制定しました。“天使のささやき”とはダイヤモンドダストの別名ということです。

 

 

 

 急に寒い日が続きだしましたので、ちょっとオシャレな「天使のささやき」の話を書き記しておきました。では、本題の「舟木一夫と本間千代子」に入ります。

 

【EP】本間千代子「若草の丘/この心ある限り」

 

 舟木一夫さんは1963年6月5日、「高校三年生/水色のひと」でデビューした後、4日後の9日には玉置宏さんが司会をしていたTBSテレビの「ロッテ歌のアルバム」に初めて出演しました。その時に共演したのが翌7月に「若草の丘/この心ある限り」で歌謡曲歌手として本格デビューする本間千代子さんでした。私の知る限り、これが2人の初顔合わせだと思います。

 

 

 舟木さんは1944年12月12日、本間さんは1945年1月29日生まれですから1歳違いです。本間さんは小学5年からコロムビア専属の童謡歌手になり、すでに30数曲の童謡(SP盤)を吹き込んでいましたが、歌謡曲の歌手としては舟木さんとほぼ同期になります。ですから、「ロッテ歌のアルバム」ではそれぞれのデビュー曲を披露する形での共演だったのでしょう。

 

 2人は4か月後の10月にスタートしたTBSラジオの若者向けトーク番組「夢の青春コンビショー」(毎週土曜放送)で1964年3月までDJを務めました。番組の中で月1回、2人で都内の学校を訪ねるコーナーがあり、1回目に舟木さんの母校・自由が丘学園を訪問。生徒たちから「先輩、必ず日本一の歌手になって下さい」と激励を受け、校庭に集まった約1000人の生徒たちから「高校三年生」の大合唱が巻き起こりました。

 

浅草国際劇場のパンフレット

 

 舟木さんは1964年3月1日から8日まで、東京・浅草国際劇場で初のワンマンショーを開きました。浅草国際か日劇(日本劇場)でワンマンショーを開くことが一流の証と言われた時代に、舟木さんはデビュー以来8か月余りで実現しました。これより2か月前に、ワンマンショー開催のニュースを知った舟木さんの故郷・愛知県一宮市の後援会員から「いくらでも払うからチケットを用意して!!」という懇願が殺到しました。

 


 当時、一宮市は有数の毛織物生産地で約6000の繊維会社に8万5000人が働いており、後援会員の6割が女子中・高生、4割が繊維会社に勤める女子工員。その女子工員らが「行かせてくれないと会社をやめます」と訴えたため、後援会長らが国鉄と交渉を始めた結果、なんと、国鉄が尾張一宮駅から東京駅まで特別列車を走らせることになりました。凄い、というか大らかな時代です。

 

 「週刊平凡」(3月12日号)によりますと、3月1日午前9時3分、12両編成の「舟木一夫号」が尾張一宮駅を発車。乗客は5000人以上のツアー応募者から選ばれた1030人。まもなく車内に「おはようございます。舟木一夫です。僕のために感激です」というテープが流れ、浜松を過ぎると前部車両から「高校三年生」の歌声が流れ、次々に後部車両に流れて大コーラスになりました。

 

 

 

 

 午後3時23分、東京駅14番ホームに到着。一行は丸の内中央口前で待機中の19台の観光バスに乗り換え、警視庁のパトカーの先導で第2回目のショーの開演時間ギリギリの3時58分に浅草国際に滑り込みました。警官隊50人が警備する物々しい雰囲気。会場は定員3000人のところ立ち見客もいて120%の入りで、舟木さんは「高校三年生」や「君たちがいて僕がいた」など17曲を歌い、8回の衣装替えを行いました。

 

 この舟木さんの初のワンマンショーにゲスト出演したのが本間さん。他社に遅れて青春路線強化を打ち出していた東映が舟木&本間コンビでは初めての「君たちがいて僕がいた」の映画化を決めていて、そのPRも兼ねていました。その際のプログラムによりますと、歌あり芝居ありで第一景から第十四景まであって、本間さんは「愛しあうには早すぎて」「純愛の白い砂」「この心ある限り」を歌っています。

 

 

 2人はショーの合間にこっそり浅草国際を抜け出し、近くの隅田公園(墨田区)で映画のスチール写真を撮り、ショーが終わった2日後、東映撮影所のセットに入るという強行スケジュールでした。舟木さんはその後、3月15日から18日まで京都から北陸まで初の地方巡業をこなしました。そして、6月20日には2人の2作目の映画「夢のハワイで盆踊り」のハワイ・ロケに出発します。とにかく、当時は凄い働きぶりです。

 

 

 ところで、舟木さんと本間さんが制服姿で自転車を押しながら並んで歩いているカットのプロマイドがあります。本間さんの顔の所に自分の写真をコラージュで類似のツーショットを作って楽しんでいた女生徒らが結構いたという話しを聞きました。プロマイドの小型版で同じように作って定期入れに忍ばせていたファンも少なくなかったということです。スマホがない時代の楽しみ方の一つだったんでしょうね。

 

 

 

 

 

 

 

 

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