舟木一夫と篠山紀信

 舟木一夫さんとも親交があった写真家の篠山紀信(しのやま・きしん、本名紀信=みちのぶ)さんが4日、老衰のため亡くなった。83歳だった。関係者によると、篠山さんは4日昼頃、容態が急変し、病院で死亡したという。妻は現在69歳の元歌手・南沙織さん、次男は俳優の篠山輝信さん。

 

 

 篠山さんは、1940年12月3日、現在の東京・新宿生まれ。日本大学芸術学部写真学科在学中に頭角を現し、広告制作会社勤務を経て1968年からフリーに。70年には親交があった作家の三島由紀夫の依頼で自決直前の姿を撮影して注目された。歌舞伎俳優の坂東玉三郎さんの写真集「女形玉三郎」(72年)で芸術選文部大臣新人賞を受賞している。

 

 

女形玉三郎―写真集 (1972年)

 

 90年代にはヌード写真集で知名度を上げ、女優の樋口可南子さんを撮影した写真集「water fruit」やトップアイドルだった宮沢りえさんの写真集「Santa Fe」(下の写真)などで社会現象を巻き起こした。その後、山口百恵さんからジョン・レノン&オノ・ヨーコまでを“激写”。このほかにも数多くの俳優、歌手らが篠山さんに撮影してもらっていて、訃報後、多くの方から“感謝”の言葉が寄せられている。

 

宮沢りえ/篠山紀信 写真集 Santa Fe ポストカード3枚付き 帯付き

 

 篠山さんと舟木さんの出会いは、1972年6月13日から18日まで、東京・日本橋三越で行われた「芸能生活10周年記念写真展」。舟木さんはこの直前の4月7日に自殺未遂騒動を起こしているが、篠山さんは同年8月1日から東京・明治座で行われた舟木一夫10周年記念公演「大岡政談・魔像」では、パンフレットの表紙を撮影。パンフレットの中で「舟木さんのこと」と題して以下のように記している。

 

 

 

写真家はよく拾い物をする。モク拾いの場合もあれば、貴金属にしか目をくれない(地見屋)の真似をすることもある。

 ぼくは最近になって、舟木一夫さんという、言葉は悪いけど大きな拾い物をして、(拾い屋)としてのコレクションをひとつ増やし、いたく上機嫌である。

 初対面のとき、世間に言われる彼の陰性型の性格というものが、実はウソであることに気づき、先入観の恐ろしさを改めて知った。かれは非常に聡明で快活、物事への判断が実に明確、その頭脳のよさは、ぼくを驚かせた。

 そして舟木さんの美男子である。それもいまわたしたちが失っていきそうな日本的な美しさである。かれはふと「ぼくは、いっそ30年ぐらい昔に生まれてきたらよかったな、その方が似合っているんですよ」などといった。いやどうしてどうして、いま、こんな時代だからこそ舟木さんの存在が大事なときなのだ。

 舟木さん、今度は20周年記念の写真を是非とりたいものだね。

 

 さらに、篠山さんは12月1日から大阪・新歌舞伎座で行われた10周年記念特別公演「義士外伝・江戸の淡雪~悲恋 毛利小平太」のパンフレットの表紙(下の写真)も撮影した。この時のパンフレットにも明治座と同じ一文を載せている。自殺未遂の“余波”を全く感じさせない文章で、逆に暖かさすら伝わってくる。舟木さん27歳、篠山さん31歳の時のことだ。

 

 

 舟木さんは翌1973年に集英社から発行された「スター106人 篠山紀信写真集」(明星、プレイボーイ共同編集)にも掲載されている。 

 

 篠山さんは2012年から19年にかけ、50年代後半から取り続けて来たポートレートの中から129点を厳選した「篠山紀信展 写真力 THE PEOPLE by KISHIN」を全国各地で巡回し、累計入場者数が100万人を突破。21年には東京都写真美術館で大規模個展「新・晴れた日 篠山紀信」を開いた。

 

 

 「篠山紀信展 写真力」では大型パネルを仕立てて美術館の空間に展示。GOD(鬼籍に入られた人々)、STAR(すべての人々に知られる有名人)など5章で構成したが、GODにはジョン・レノン、三島由紀夫、勝新太郎、美空ひばりら、STARには1973年撮影の王貞治さん、田村正和さんらとともに舟木さんの写真が展示された。

 

~01:14に舟木一夫の写真~

 

 

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 以上のように、篠山さんは出会った時の思いのまま、舟木さんという“有名人”を大切にしてきたことが分かります。篠山紀信さんの御冥福をお祈り致します。

 

 

 

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