舟木一夫と内藤洋子㊦

 

 

 

 2023年最後のブログのテーマに「内藤洋子」を選んだのは、「その人は昔」の映像と楽曲のスケールの大きさを再度、振り返っておきたい気持ちになったからです。舟木一夫さんは今もステージで「その人は昔のテーマ」を歌い続けていますが、私たち舟木さんファンには、その歌声をいつ聴いても鮮やかに映像が蘇ってきます。

                               (以下、敬称略)

 

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 東京映画「その人は昔」は、脚本・監督を松山善三(2016年8月27日、老衰で死去。91歳)が務めた。妻は女優でエッセイストの高峰秀子(2010年12月28日、肺がんで死去。86歳)。松山は、舟木のアルバム「こころのステレオ その人は昔~東京の空の下で~」を制作する際、日本コロムビアのディレクターだった栗山章が「叙情を書かす作詞家ならこの人をおいて他にいない」と太鼓判を押して起用した人で、その流れで映画の脚本も松山が手掛けることになった。

 

こころのステレオ その人は昔―東京の空の下で

 

こころのステレオ その人は昔―東京の空の下で

 

 北海道・襟裳岬近くの漁村に住む貧しい男女が東京に夢を見て上京するが、都会の厭らしさに夢破れた彼女は自ら命を絶ち、何の救いの手も差し伸べられなかった彼は傷心して故郷に戻る…という悲恋物語。松山自身がかつて北海道を周遊した際、襟裳岬に近い百人浜の美しさに魅了されたのが“原風景”になっていた。アルバムの作曲を依頼されていた船村徹が松山が書いた作詞の束を見た時、「これでは週刊誌の記事に曲を付けるようなものじゃないか」と驚いた。

 

― 襟裳岬 ―

― 百人浜 えりも観光ナビより ―

 

 映画のロケは1967年5月22日に松山監督ら一行が百人浜に入ったのに続き、舟木、内藤も3日後の25日に合流した。松山監督が「フランス映画の『シェルブールの雨傘』(1964年、ジャック・ドゥミ監督)のような映画を狙った」と言った通り、上映1時間半のうち50分が音楽という作品になっている。ちなみに、「シェルブールの雨傘」はカトリーヌ・ドヌーブ主演、ミシェル・ルグランが音楽を担当したミュージカル映画で、第17回カンヌ映画祭でグランプリを受賞している。

 

 

 「その人は昔」の映画版では、舟木のアルバムにはなかった6曲が新たに加えられた。そのうち2曲を舟木、2曲を内藤が歌い、残りの2曲を2人でデュエットするということになった。いずれも作詞・松山善三、作曲・船村徹。のちにシングル化される「心こめて愛する人へ/じっとしてると恋しい」(1967年7月、舟木)、「白馬のルンナ/雨の日には」(同年7月、内藤)、「恋のホロッポ/今度の日曜日」(1983年5月、デュエット)がそれだ。

 

 

 内藤にとって“歌手”は初めての挑戦。決して上手いとは言えないが、何とも言えない深い味わいがある。私は内藤の歌について、船村に直接聞いたことがある。船村は以下のように答えた。内藤のファンにとっても、いかにも船村らしい貴重な“証言”だと思うので、そのまま掲載する。

 

 「彼女はこの映画で初めて『白馬のルンナ』などの歌を歌ってくれました。お互いの自宅が湘南で、彼女は鎌倉に住んでいましたので、私が自宅(藤沢)にいる時は寄りなさいと言ってレッスンしました。何回やりましたでしょうかね。彼女のお父さんがお医者さんでしたので、あなたは私の患者として言うことを聞きなさいと言ってやりました。まぁそうは言っても、彼女は音を伸ばすと音程が狂っちゃうんで、思い切ってブツ切りのような歌にしたんですね。そうしたところ、これが成功したんです」

 

 船村が「成功」という言葉を使ったように、「白馬のルンナ」は船村が狙った通りの個性的な歌い方も魅力になって、50万枚を超す大ヒット曲になった。内藤が芸能界引退直後の1971年にアルバム「洋子」もリリースしているが、「恋のホロッポ/今度の日曜日」だけが映画公開から16年もたった1983年にシングル化されているのは何故か。

 

 

 調べてみると、1983年はコロムビアが「青春グラフィティ」シリーズと銘打って廃盤レコードを復刻発売していた時期に合致する。廃盤復刻という趣旨には合わないが、“特例”としてシングル化から漏れていた舟木&内藤のデュエット曲「恋のホロッポ/今度の日曜日」を初めてリリースしたことが想像される。

 

 ともあれ、内藤は1967年7月に公開した「その人は昔」の大ヒットを受けて、5か月後の12月には、名人になることを夢見て洋菓子店に勤める舟木と、同郷の富豪の娘の女子大生役で「君に幸福を センチメンタル・ボーイ」(丸山誠治監督)を撮っている。脚本は引き続き松山善三で、身分違いの2人の恋の顛末を描いた青春映画だ。舟木&内藤は記憶に残る名コンビになったのではないか。

 

 内藤はその後、加山雄三、酒井和歌子とともに出演した「兄貴の恋人」(1968年、森谷司郎監督)、「華麗なる闘い」(1969年、浅野正雄監督)、「地獄変」(同、豊田四郎監督)、「娘ざかり」(同、松森健監督)などに出演したが、この頃からもう一人の東宝の看板女優・酒井和歌子の方が注目されるようになっていた。結局、内藤は主演作も含めて計22本の映画に出演した。

 

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兄貴の恋人

 

 そして20歳になった1970年、グループサウンズ「ザ・ランチャーズ」のボーカルをしていたギタリストでもある慶応大学生の喜多嶋修と結婚して芸能界を引退。内藤が女優&歌手をしていたのはわずか5年間ということになったが、それ以上の存在感はあったように思われる。2年後に長女・舞が誕生。1974年には、家族そろってアメリカ・カリフォルニア州に移住。現地で長男、二女にも恵まれる。

 

 長女の舞も1986年、コンパクトカメラのCMで芸能界デビュー、1988年には父親のプロデュースで歌手デビューもした。1996年に元光ENJIの大沢樹生と結婚して長男が誕生したが、2005年に離婚。2年後に再婚し女児を出産している。この後、長男の親権をめぐって二転三転する騒動になったが、最終的に内藤が引き取って育てることになり、騒動が治まった。母親としてのケジメなのか。

 

 

 内藤はグラフィックデザイン、コスチュームデザインなどの活動をした後、ロサンゼルスを拠点に絵本作家として活躍し、本名・喜多嶋洋子の名前で「天使の羽音-山鳩からの贈り物-」(2004年2月、文藝春秋)や「おひさまにだっこ」(2005年7月、フレーヘル館)、「ホーじいさんとヤムの桃」(2007年10月、白泉社)などの絵本や童話を出版した。

 

 なかでも「天使の羽音-山鳩からの贈り物」は、ロサンゼルス郊外の美しい丘に住む一家と、親のいない山鳩の兄妹の触れ合いを通して、親子の愛や家族の愛を綴ったもので、 「喜多嶋洋子」の優しさ、温かさが伝わってくる作品になっている。

 

天使の羽音 山鳩からの贈り物

 

おひさまにだっこ

 

ホーじいさんとヤムの桃

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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☆青春賛歌 目次【1】2022年~

☆青春賛歌 目次【2】2023年~