舟木一夫と内藤洋子㊤

 

レコード アナログ シングル 内藤洋子 雨の日には/白馬のルンナ 昭和レトロ

 

 12月25日(月)21:00からチャンネルNECOで、舟木ファンにはXマスプレゼントとして、4月25日(火)に東京・中野サンプラザホールで行った「舟木一夫コンサート2023~さようならサンプラザ~」の収録画が放送されました。舟木さんは終盤に「その人は昔のテーマ」を熱唱されました。改めて“いい歌だ!!”という感想を持ったのは私だけではなかったと思います。                   (以下、敬称略)

 

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 「内藤洋子」という女優は、舟木と共演して1967年7月1日に公開された東京映画「その人は昔」を通して知るようになった。内藤はそれまでにも何本かの映画やテレビドラマにも出演していたが、取り立てて関心を向けるほどの対象ではなかった。しかし、舟木の映画の相手役となると、必然的に関心を向けざるを得なかったと言うのが正確な表現だ。

 

 

 内藤は1950年5月28日、茨城県神栖市の生まれだが、育ったのは神奈川・北鎌倉で、鎌倉市立御成小学校、北鎌倉女子学園(中学・高校)を卒業している。北鎌倉女子学園は通称“キタカマ”と言って、横須賀線北鎌倉駅からほど近く、周囲には多くの有名寺院が点在しており、教育環境としては申し分ない所。キタカマの朝、授業の始まり、帰りも「ごきげんよう」の挨拶を欠かさない“お嬢さん学校”だ。

 

 

 内藤家は曾祖父の代から医業を生業としていて、父親も医者。内藤は4人姉妹の3番目だが、妹は「マリーナ」などのシングルをリリースしている元歌手の内藤圭子、ダンサーの和田妙子は叔母に当たる。内藤が育った北鎌倉=「湘南」と、父親の職業=「医者」はのちに内藤が作曲家・船村徹と出会い、歌手になる際のキーワードになる。

 

育ちざかり

 

 内藤が芸能界に入るきっかけは、小学校5年生の1960年、キタカマに「エースコックのワンタンメン」のCM撮影隊が訪れた際、スタッフにスカウトされて少女漫画雑誌「りぼん」(集英社)の表紙のモデルを始めた。この「りぼん」を購読していたのが、あの黒澤明監督の長女で当時11歳だった黒澤和子(のちに映画衣装デザイナー)だったことから、話はさらに発展していく。

 

 

【750】りぼん新年号ふろく「内藤洋子さん 舟木一夫さん 声の年賀状」

 

 黒澤監督は当時、映画「赤ひげ」の主役・保本登(加山雄三)の許嫁役選びに難航していた際、「りぼん」の表紙の内藤(上の写真)が目に留まり、オーディションを受けるように勧めた。最終選考には酒井和歌子も残り、スタッフでも決められず、最後は当時20歳の長男・久雄に写真で選ばせた。結果、内藤は高校在学中の1965年、「赤ひげ」でいきなり映画デビューすることになった。

 

映画チラシ 「赤ひげ」監督 黒沢明 出演 三船敏郎、加山雄三、内藤洋子、団令子、桑野みゆき、二木てるみ、根岸明美、香川京子、山崎努、土屋嘉男、笠智衆、志村喬

 

   1965年は舟木がデビューして3年目で、「北国の街」や「高原のお嬢さん」などシングル13枚、アルバム2枚をリリースし、映画も「花咲く乙女たち」など4本が公開されている。私生活では東京・代沢の200坪もある元大学教授宅を購入して両親ら故郷の家族を呼び寄せ一緒に暮らし始めた年でもある。弱冠20歳で豪邸を購入した!!と週刊誌などでも話題になった。内藤は14歳から15歳だった。

 

花咲く乙女たち

 

北国の街

 

 いずれにしても、これまでの流れの中に内藤自らの努力はなく、「運」が女優へと導いている。そして、翌1966年には朝日新聞に連載され話題になった三浦綾子の不朽の名作「氷点」がNETテレビ(現テレビ朝日)でテレビドラマ化され、ヒロインの辻口陽子役に抜擢された。陽子を引き取って育てる夏枝役の新珠三千代のたっての願いだったという。運も実力。最終回の視聴率は42.7%だった。

 

「氷点」昭和41年放送 

 

 この年には早くも映画「あこがれ」(恩地日出夫監督)で主演し、ゴールデン・アロー賞などに輝いている。さらに1967年2月25日に公開された「伊豆の踊子」(同)にも主演したが、ちょうどその頃、舟木が1966年11月にリリースしたアルバム「こころのステレオ その人は昔~東京の空の下で~」(作詞・松山善三、作曲・船村徹)が、アルバムとしては想定外の大ヒット作になり映画化の話が相次いでいる時だった。

 

あこがれ [ 内藤洋子 ]

 

伊豆の踊子 [ 内藤洋子 ]

 

 最終的に、映画会社は「その人は昔」の原作者・松山善三が所属していた東京映画(2004年に東宝と合併)に決まった。さて、舟木の相手役を誰にするかという時に、大抜擢されたのがトントン拍子の絶好調を続けていた内藤だった。舟木は初めて東宝系の映画に出演、内藤も東宝系以外の“男優”と組むのは初めてだった。

 

 舟木は「その人は昔」に絡めて、ステージで内藤の話をする際は、名前を呼ばずに「あの“おでこ”の…」という言い方をする。それほど初対面の“おでこ”の印象が強かった。

                                 

 

 

 

 

 

 

 

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