舟木一夫と松原智恵子㊤

 

国際情報社 - 『映画情報』1964年9月号 Wikipediaより

 

 舟木一夫は1944年12月12日、愛知県一宮市萩原町の生まれで、79歳になったばかり。松原智恵子は、名古屋大空襲を避けるため母親が疎開していた父方の故郷・岐阜県揖斐郡池田町で1945年1月6日に4人姉兄の末っ子として生まれ、戦後に実家のある愛知県名古屋市に戻りそこで育っている。舟木も松原も高校時代の活動の中心は名古屋市内だった。2人は全く同世代で、同じ名古屋の空気を吸っていた“同郷”と言っていい。あえて言えば、2人とも血液型はO型でもある。

 

   もっとも、家庭の経済状況には雲泥の差があったようだ。舟木の父親は劇場を経営していたが、舟木は“9人の母親“で知られ、劇場破綻後は小学校も転々とするほどだった。一方の松原の父親は名古屋市内で銭湯や旅館を経営し、不動産ビジネスも展開するほど。2人の姉は後に「ミス名古屋」「ミス海の女王」に選ばれる評判の美人姉妹だった。三女の松原は日舞をやっていた関係で、中学時代から中村錦之助や大川橋蔵が出る東映の時代劇を観ていたと言う。

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 そんな舟木と松原が出会うのは、1963年12月11日に公開された日活映画「学園広場」の撮影現場。2人とも18歳だった。舟木にとっては大映映画「高校三年生」に次いで2本目の映画。松原は名古屋市立桜台高校1年の1960年、日活が行った「ミス16歳コンテスト」を新聞で見つけ、自ら応募して入賞したのがきっかけで「夜の挑戦者」に端役でデビュー。「学園広場」に出演した時は、すでに28本の映画に出演していた。1年に約15作品をこなすという凄まじさだった。

 

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学園広場

 

 松原の父親は、娘が映画界入りするとすぐ、名古屋の自宅近くの土地を提供して映画館を誘致し、松原の映画を観ていたという。そればかりか、1962年春には、名古屋から大工さんを連れてきて、東京都調布市国領に2階建ての家を建てて、松原をお手伝いさんと一緒に住まわせた。父親はその年の9月23日、台風が近づいてきたため自宅の補修に出た時に事故に遭って亡くなった。娘のために尽くした一生だった。

 

 ところで、大映は映画「高校三年生」のヒットを受けて舟木の2曲目の「修学旅行」も映画化する予定だったが、外遊中の永田雅一社長の決済が下りず、日活の水の江瀧子プロデューサーの力で日活に映画権が移ったという経緯がある。水の江プロデューサーは「修学旅行」ではなく、10月にリリースされたばかりの「学園広場」の映画化に踏み切った。決断が速い。石原裕次郎を育てた敏腕プロデューサーならではだ。

 

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 出演者の権限も水の江プロデューサーが握っていた。その意味では2人を巡り合わせたのは水の江プロデューサーだったという言い方も出来る。2人はこの映画をきっかけに、「仲間たち」(1964年3月14日)、「夕笛」(1967年9月23日)、「残雪」(1968年3月30日)、「青春の鐘」(1968年12月10日)という計5本の日活映画で共演する。なかでも「夕笛」は秀逸で、1967年に公開された日活映画の全作品の中で配収1位に輝いた。

 

仲間たち
夕笛
残雪
青春の鐘

 

 「夕笛」について、舟木は「松原智恵子の美しさが際立っていた映画」と、松原の嵐の中の演技を絶賛している。しかし、この映画、最初は東映で製作する予定で、相手役には光本幸子か三田佳子が候補に挙がっていたが、舟木のスケジュールの都合や当時の東映のイメージが「夕笛」に合わないことなどから「日活で松原智恵子」に落ち着いた経緯がある。これも呼び寄せ合う2人の運と言っていいのではないか。

 

 私は舟木の芸能生活50周年に夕刊フジで「歌い続けて50年 舟木一夫の青春賛歌」を連載するにあたり、どうしてもインタビューしなければならない女優の筆頭に松原を挙げ、申し込むことにした。その際、舟木は松原のことをしばしば語っているが、その逆はあまり聞いたことがなかったため、舟木を語るためだけにインタビューを受けてもらえるのか若干心配だった。

 

舟木一夫の青春賛歌

 

 ところが、快く引き受けていただき、写真撮影はないと事前に伝えたにもかかわらず、撮影したくなるほど綺麗な着物姿で待ち合わせのホテルの喫茶ルームに時間通りに姿を現し、時には笑いも交えながら、舟木について語ってもらった。舟木だけでなく、松原もまた舟木に好印象を抱いていたんだと安心した(笑)のを良く覚えている。松原は66歳か67歳だった、ホントに綺麗な方だった。 

 

 松原の舟木に対する第一印象は「丁寧で礼儀正しい方。歌のお仕事であんなにお忙しかったのに、撮影時間に遅れたことがないし、台詞もしっかりしていらしたことを覚えています」と話した。松原によると、歌手は発声練習がちゃんと出来ているから、すっと入って来ても台詞を上手に話すのだと言う。松原もコロムビアから「泣いてもいいかしら/ひとりで歩くのが好き」「淋しいあの人/ひとりの雨降り」「心から愛した人/私にだけ」「ブルー・レディー/痛い指輪」「恋の眠り姫/夕陽の中のチコ」という5枚のレコードを出しているが、「私もノドで歌おうとせず、お腹から声を出して歌うことを学びました」。

 

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 初対面の「学園広場」には、コメディアンのトニー谷が両手の拍子木でリズムを取りながら「♪あなたのお名前なんてぇの?」と呼びかけると、出演者のアベック(今では死後ですか)がツイストを踊りながら答えるという場面が登場する。松原は「当時、浅丘ルリ子さんのお宅でよくパーティーが開かれていて、みんなで踊っていました。全然踊れなかった舟木さんにツイストを教えてあげた記憶があります。一緒に歌ったのは『高校三年生』と『学園広場』でしたが、舟木さんが高いフレーズを歌って、私が歌いにくいところを歌ったんですよ」と、懐かしそうに裏話を披露してくれた。

 

 

 トニー谷との場面は日本テレビの人気番組「アベック歌合戦」を映画に持ち込んだものだった。撮影は千葉県市川市内の公民館で行われた。午前中に映画の撮影、午後にテレビの本番が撮られたが、普段のテレビ撮影では700人前後の観客が、この日は2倍以上の1800人以上で埋まったと言う。このブログを読んでいただいている方の中には、現場にいたという方もおられるかもしれませんね。どんな雰囲気でしたか?

 

 ともあれ、舟木の松原に対する第一印象は「チーちゃんはただただ綺麗な人だなぁって思いました」と語り、「ケンちゃん(山内賢)も2人とも映画館で観ていた人だから共演しているというより観客目線の方が強かったですね。日活はとにかく若い人が多くて、撮影所も明るく、若手に対する妙な圧迫感も一切なく、とにかく仕事がやりやすかったです」と話している。舟木らしい素直な感想だと思う。

 

 「夕笛」に至っては、前述したように「際立つ美しさ」(舟木)にまで到達する。この映画の撮影は真夏の北陸ロケからスタートし、彦根ロケでは35度という猛暑の中、2人のキスシーンが撮影された。遠巻きに見守る約500人のファンの中に名古屋から駆け付けた松原の母親と姉の姿もあったが、松原は「遠く離れて見ていたので、気にはなりませんでした」と、こちらも松原らしい感想だった。

 

 

 インタビューの中で一番驚いたのは、私が「夕笛」が配収1位だったことを伝えた際、松原は「えっ、配収1位だったんですか!?」と、40年以上たって初めて知った驚きを隠さず、「そういえば、そのころ堀(久作)社長に呼ばれて『よく頑張ったね』って、お小遣いをいただきましたわ」と、いかにも松原らしい返事が戻ってきた時だった。このやり取りの中に“松原智恵子の魅力”の全てが含まれているのではないか。 

 

 2人は「夕笛」の前年の1966年8月にスタートした日本テレビの連続ドラマ「雨の中に消えて」でも共演している。今でも舟木ファンの記憶に強く刻まれているドラマだ。この頃から、松原は吉永小百合、和泉雅子とともに「日活三人娘」と呼ばれるようになり、1967年のブロマイド売り上げは女性部門で第1位を獲得、1969年の「恋のつむじ風」で初の単独主演も果たしている。

 

恋のつむじ風

 

 

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 松原は数えきれないほど(!?)の日活映画に出演し、「映画が落ち目になっているのが分からなくて、最後まで(日活に)残っていたら、“チーコ、もういいよ”って言われたのをよく覚えています」。お嬢さんを絵にかいたような女優だ。松原は、日活を離れた後も女優業を続け、2016年12月には、「ゆずの葉ゆれて」の演技が第1回ソチ国際映画祭で認められ、主演女優賞を受賞している。

 

 

 次回は松原さんの私生活にも少し触れてみたい。

 

 

 

 

★★★

 

「決定版  舟木一夫の青春賛歌」(産経新聞出版)が発売されています。前著「舟木一夫の青春賛歌」を全面リライトしたうえ、このブログなどの内容を追加してまとめたものです。これまでのシングル全ジャケット写真、芸能生活のあゆみ(オリジナル)など60年のあらゆる記録も収めています。巻頭には舟木さんの最新インタビューも掲載しています。

 

 

 

 

 

 ★★★

 

 

 

 

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