舟木一夫と山内賢㊤

 

「学園広場」(山崎徳次郎監督、1963年12月11日公開)

 

学園広場

 

「高校三年生」(井上芳夫監督、1963年11月16日公開)

 

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 舟木一夫が山内賢に初めて会ったのは、日活映画「学園広場」の撮影現場だった。舟木にとっては初の日活映画で、大映映画「高校三年生」(1963年11月16日公開)に続く映画2作目。3枚目のシングル「学園広場」(作詞・関沢新一、作曲・遠藤実)は1963年10月のリリースで、映画の撮影は「高校三年生」が公開されている最中の11月に行われ、12月11日には公開されている。

 

 人気歌手のヒット曲を題材にして映画化する典型的な“歌謡映画”だが、当時29歳の倉本聰と34歳の斎藤耕一が共同脚本を務めている。舟木は2人が書いた台本を持ち歩き、撮影所に向かう車の中で台詞の7割、現場で3割を覚えるという超多忙ぶりだったが、舟木は大学ノートに台詞についての自分なりの捉え方などをびっしり書いている姿が何人もの共演者から目撃されている。

 

 舟木は「学園広場」で親しくなった山内のことを「賢ちゃん」と呼ぶようになる。歌謡界は上下関係が厳しく、また同世代の競争も激しかったため、歌手としては“一匹狼”にならざるを得なかった。それに比べ、同世代が多い日活撮影所の和気あいあいの雰囲気は、当時の舟木にとっては“憩いの場”にもなっていたのではないか。「学園広場」以降の山内との共演作を並べてみる―。

 

   「あゝ青春の胸の血は」(森永健次郎監督、1964年9月9日公開)

 

あゝ青春の胸の血は

 

   「花咲く乙女たち」(柳瀬観監督、1965年1月24日公開)

 

花咲く乙女たち

 

   「北国の街」(柳瀬観監督、1965年3月20日公開)

 

北国の街

 

   「高原のお嬢さん」(柳瀬観監督、1965年12月4日公開)

 

高原のお嬢さん

 

   「友を送る歌」(西河克己監督、1966年6月25日公開)

 

友を送る歌

 

   「北国の旅情」(西河克己監督、1967年1月13日公開)

 

北国の旅情

 

   「君は恋人」(斎藤武市監督、1967年9月23日公開)

 

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   「花の恋人たち」(斎藤武市監督、1968年1月3日公開)

 

花の恋人たち

 

 舟木は計32本の映画に出演(1本はインタビューのみ)しているが、大映、日活、東映、東京(東宝)、松竹など全ての映画会社の作品に主役または準主役の形で出演しているのがポイントだ。当時は自分の所属会社以外の映画には出演できないという「五社協定」の時代だったから、所属会社がない舟木が成し遂げたのは“快挙”だった。

 

 ところで、山内は1943年12月9日、東京生まれ。舟木より1歳年上。本名は藤瀬賢晃。俳優の久保明はお兄さん。1955年10月5日に公開された井上靖原作の東宝映画「あすなろ物語」で久保の少年時代を演じて映画デビューした。12歳だった。以降、芸名は「久保賢」として子役を演じていた。19歳の1962年に日活と専属契約を結んで芸名を「山内賢」に改名している。

 

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 本格的に俳優活動をスタートさせたのは、1962年5月1日に公開された石原裕次郎、浅丘ルリ子主演の「雲に向かって起つ」。山内は同年、俳優活動と同時に和田浩治らとともに「ヤング・アンド・フレッシュ」(日活ヤング&フレッシュ)というバンドを組み、レコードをリリースするなど音楽活動にも入って行った。のちに和泉雅子とコンビでリリースした「二人の銀座」を大ヒットさせることになる。

 

雲に向かって起つ

 

二人の銀座

 

 また、山内らのバンドの延長線として、1966年3月27日には「青春ア・ゴーゴー」が公開されている。この映画には日活ヤング&フレッシュがそのまま登場し、浜田光夫がボーカルを務めている。ジュディ・オングも出演し、美声を披露している。「青春ア・ゴーゴー」はレコードリリースもされた。当時の映画は2本立てが多く、併映となった映画は舟木&和泉の「哀愁の夜」だった。

 

青春ア・ゴーゴー

 

哀愁の夜 [ 舟木一夫 ]

 

 舟木はそんな活動的な山内と映画で共演するうちに、兄弟以上に親しい関係になる。とりわけ和泉雅子を加えた3人で出演した映画では、まさに“息がぴったり”を見せつけていた。舟木は日活の共演者らに俳優としての素質が磨かれていった。舟木はのちに「撮影所のルールは、すべて賢ちゃんに教わった」とまで話している。

 

 舟木と山内が出会ってから14年目のこと。舟木が芸能生活15年を記念して1977年12月にリリースしたアルバム「限りない青春の季節/舟木一夫15周年記念リサイタル 歌とモノローグで綴る15年の歩み」の付録解説書の中に、「私も鮑(アワビ)になりたい」と題した山内の寄稿文が載っている。私なりにくだいて再録する。

 

限りない青春の季節 舟木一夫15周年記念リサイタル 歌とモノローグで綴る15年の歩み [ 舟木一夫 ]

 

 「ひとくちに友といっても、僕と貴君においては、 造語を使用すれば珍友が一番ピッタリ来るのではないでしょうか? それぞれ生活観、女性観、趣味が違っており、それでいて何故か強く惹かれるものがある。今日まで続いたのが不思議でならないのです。しいて共通点を挙げれば、同じ世代の芸能人といった程度の、それとなく付き合って来た珍なる友であったように思われます。ところがお互い結婚したことによって、今までとは一味もふた味も違った妻帯者同志の『愚痴』、いや!かなり高尚な問題を語り合える、本当の意味での心友になってゆける気がするのです」

 

 そして、15周年に寄せる言葉として、舟木を鮑に例え、

 

「アワビは、静かな海の大きな岩に囲まれ、良い餌に恵まれてどんどん成長し、ひたすら時間を待つ。やがて成熟しきったところで、人の前に供され、みんながその味に堪能する。いささか消極的な考え方と批判されるかもしれませんが、そんな鮑に私もなってみたいものです。本当に、オメデトウ! 行方知らずの回遊魚より」

       

       と述べている。

 

 舟木の影響も受けたのでしょう。山内は日本映画が斜陽期に入るとともに、歌手活動に専念しようと1967年に日活を退社するが、なかなか思うようには行かなかった。そんな山内を待っていたのが、1979年から6年にわたってテレビ朝日系で放送された子供向けドラマ「あばれはっちゃく」の先生役や、1983年から1998年にかけて放送されたNHK「趣味講座」(釣り、山登り)などだった。

 

 

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― あばれはっちゃく ー

 

―NHK 釣り入門 55年度

 講師&司会・山内賢/講師:小日向巌・伊東紫水・楠山正良他―

 

 山内は2003年夏に右肺にがんが見つかり除去手術を行ったが、その後も食道、左肺への転移が確認され計4回の手術を受けた。しかし、2011年9月22に急な発熱で東京都新宿区内の病院に入院。2日後の4日午前4時53分、肺炎のため亡くなった。病床での最後の言葉は「みんなに感謝」だった。山内らしい。8年以上に及ぶがんとの闘いだった。まだ67歳だった。

 

 

 山内が亡くなって間もなく、私は取材のために舟木に会う機会があった。舟木の顔色が優れない。私の方から「残念な結果になりました」と山内の訃報に触れると、舟木は急に声を詰まらせて、「まいったよ、まいったねぇ」と、しばらく言葉にならなかった。舟木のそんな姿を目の当たりにしたのは初めてのことだった……。

                                  (敬称略)

 

 

 

 

 

★★★

 

「決定版  舟木一夫の青春賛歌」(産経新聞出版)が発売されています。前著「舟木一夫の青春賛歌」を全面リライトしたうえ、このブログなどの内容を追加してまとめたものです。これまでのシングル全ジャケット写真、芸能生活のあゆみ(オリジナル)など60年のあらゆる記録も収めています。巻頭には舟木さんの最新インタビューも掲載しています。

 

 

 

 12月12日は舟木一夫さんの79歳の誕生日です。バリバリの現役歌手!!! おめでとうございます。大阪でディナー・バースデーが行われます。

 

★★★

 

 

 

 

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