舟木一夫と三田明㊤

 

 舟木一夫と三田明が歌手デビューしたのは1963年。当時のNHKの人気番組は「事件記者」「若い季節」「花の生涯」(大河)などのドラマで、夜の家族の団らんがテレビ中心だった。この年の第14回NHK紅白歌合戦の視聴率は81.4%で、テレビは映画に代わって「娯楽の王様」になった年という言い方もできる。

 

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 そういう意味では、舟木も三田もまさに“テレビ時代の申し子”と言える。テレビ時代の歌手には“見た目の良さ”も欠かせなかった。舟木が「高校三年生/水色のひと」(コロムビア)でデビューしたのが6月5日、三田は4か月後の10月10日に「美しい十代/千羽鶴」(ビクター)で続いた。2人とも“見た目の良さ”というテレビ時代の必要条件を整えていたから、あっという間に女性ファンの“アイドル”になった。

 

 

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 三田明こと辻川潮は1947年6月14日、東京都昭島市郷地町で兄4人、姉3人の8人兄姉の末っ子として生まれた。隣の立川市の米軍基地が郷地町まで延びていて、アメリカの軍人からチョコレートやガムを投げてもらって校長先生によく叱られたそうだ。辻川少年が音楽と出合うのは昭島市立昭和中学の時。1年生の担任がアルバイトでハワイアンバンドのスチールギターを担当するほどの音楽好きだった。舟木も中学の音楽担当の先生に恵まれていた。

 

東京都昭島市 銀杏並木

 

 辻川少年はある時、担任の先生から「音楽同好会を作らないか」と誘われ編成する。文化祭の時に講堂でニール・セデカの「恋の片道切符」を歌ったら、会場の女生徒から大歓声が上がった。そんな姿を知っていた3男が辻川少年が中学2年の夏、出演者を募集していた日本テレビのオーディション番組「ホイホイ・ミュージック・スクール」に勝手に応募。すぐに連絡があり、1次、2次審査とも受かり、合格通知が届いたという。

 

 

 番組にレギュラー出演してまもなく、ホイホイスクールに合格して入学。布施明、山本リンダらが同窓生だ。中学3年の春、東洋企画プロダクションに所属することになった。辻川少年はまだ18歳未満だったが、東洋企画が持っていたジャズ喫茶「銀座ACB(アシベ)」に裏口から入って先輩が歌うのを見学するチャンスを得た。中学の先生と出席日数を調整しながらホイホイスクールと「銀座ACB」で歌の勉強を続けることになった。

 

 転機は私立八王子高校1年の1963年5月ごろ。コロムビアから現役の高校三年生で18歳の少年(舟木)が6月5日にデビューするという情報をビクターの担当者が事前に察知し、慌てて舟木に対抗する歌手を探し始めた。ところが、舟木のデビュー曲「高校三年生」がいきなり大ヒットして大騒ぎになったため、もう少し時間を見ていたさすがのビクター関係者も焦った。早速、辻川少年に白羽の矢が立った。

 

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 辻川少年はすぐに東京・築地のビクタースタジオに来るよう呼び出され、その場でビクターのオーディションを受けた。2日後には作曲家の𠮷田正に初めて会った。その席でビクターとの専属契約が結ばれ、9月にレーディング、10月にデビューすることが決まった。作詞・宮川哲夫、作曲・𠮷田正によるデビュー曲「美しい十代」はすでに出来上がっていた。なんという手際の良さか。辻川少年には驚きの連続だったに違いない。

 

美しい十代

 

 辻川少年は10月のデビューに向け7月から8月にかけての2週間くらい、𠮷田の自宅に通い、応接室の隣にあったレッスン室のピアノの左横で約1時間の指導を受けることになった。三田は後に「このレッスン室はフランク永井さん、吉永小百合さん、橋幸夫さんら諸先輩が𠮷田先生から教えを受けられたところで、最初はもう舞い上がってしまって、その頃のことをはっきり覚えていないんですよ」と話してくれた。

 

吉田正自撰77曲(下)

 

 デビュー曲「美しい十代/千羽鶴」のレコーディングは1963年9月10日午後1時から、東京・築地のビクター築地スタジオに𠮷田、作詞の宮川、ビクターの制作関係者、バンドの人たちが集まり、関係者以外は完全シャットアウトして行われた。先行している舟木に対抗する“秘密兵器”ということで、全てが極秘扱いになっていた。マスコミ関係者は、ビクターが何やら秘密裏に動いていることはキャッチしていた。

 

 芸名をどうするか。当時の歌謡界は三波春夫、三橋美智也、三船浩、三橋達也ら「三」が縁起がいいということで、頭に「三」を付け、𠮷田の「田」と合わせて「三田」。上はすぐ決まったが、下は本人の明るい人柄の「明」に先輩の橋幸夫の「夫」を付けて「明夫」という案があったが、何かすっきりしないということになって、「明」だけにしようと「三田明」に決まった。安易と言えば安易だが…。

 

 

 極秘裏にレコーディングが終ると、今度は打って変わって大PRに乗り出す。9月18日午後1時から、同じビクター築地スタジオで、ビクターの常務、邦楽部長らと𠮷田、三田が出席して、当時としては全く異例のデビュー記者会見を行った。報道陣は約30人。翌日の新聞には「“秘密兵器”の正体は16歳の三田明。歌は若々しく健康的な作品」と報じられた。新聞各紙の書きっぷりからも、極秘作戦は大成功だった。

 

 三田の取材用・宣伝用の写真は、𠮷田の知人で写真家の秋山庄太郎が撮った。撮影後、秋山は「三田明君は最近見た少年の中でもっとも美しい顔と姿態の持ち主」と絶賛した。有名写真家のその話が“日本一の美少年”という評価に繋がって行った。また、人気作家の三島由紀夫は「三田明には昭和天皇にはないエロティシズムを感じる」と話した。2人の作家の発言で、「三田明」の名前が一気に全国区になった。

                                  (敬称略)

 

 

 

 

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