舟木一夫と共に㉙

“幻の組曲”「北の出船」

 作曲家・船村徹の楽曲を一番沢山歌っているのは舟木一夫で、その中に組曲「北の出船」があるが、私の手元に資料がなかったため、日本コロムビアの舟木の担当者に調べてもらった。その結果、コロムビアの資料にも「北の出船」の情報はなく、JASRAC(日本音楽作権協会)で検索しても見つからなかったという回答だった。

 

 信頼できる方にお願いして舟木にも直接聞いてもらった。その結果、以下のことが分かった。

 

 ―「北の出船」に関する資料などは残っていますか?

 確かに船村先生にステージ用に作っていただいた作品ですが、譜面などの資料が全くありません。

 

   ―「北の出船」には何曲入っていますか?

   組曲なので全体が繋がっており、何曲という構成にはなっておりません。

 

   ―全体の時間は何分ぐらいでしょうか?

 22~23分と記憶しています。

 

   ―いつごろの作品でしょうか?

 20代後半で「日本の四季」の後だったと記憶しています。

 

   ―船村先生に依頼されたのは?

   依頼した経緯はよく覚えておりません。

 

   ―何回ぐらい歌われたのでしょうか?

 2~3日の公演で1度だけ歌いました。

 

 ―どんな内容の組曲でしょうか?

 手元に資料がないので、この質問にお応えするのは難しいです。

 

 その後、舟友さんに情報提供を呼びかけたところ、「舟木一夫 詩秋」というパンフレット(下の写真)に掲載されていることが分かった。

 

 

 ■舟木が歌ったのははいつ、どこで?

 1975年11月2日、3日に東京郵便貯金ホール、並びに11月30日に大阪万博ホールで行った「舟木一夫 詩秋」と題されたコンサートの第1部で「組曲 北の出船」として歌った。

 

 ■ステージの構成など内容は?

 〇「北の出船」⇒作詞・横井弘、作曲・舩村徹、編曲・栗田俊夫

 〇ステージ⇒構成演出・広田康男、司会・徳光和夫、ナレーション・松本典子、ゲスト・木村好夫(ギター)  ※松本典子は「その人は昔」で“声”を担当した女優

 

 ■「北の出船」の内容は?

 昭和初期、貧困の中で病いのために亡くなった恋人を悼む青年が、恋人の故郷である北国の浜辺を訪れ、霊を弔うとともに短くも美しい愛に決別する……。

 

 ■舟木の「ご挨拶」から

「北の出船」は今までのものとは少し趣が違っている。第一に背景が現代でないこと、第二に和服で歌う“組曲”だということ―としています。

 

 横井弘の「組曲によせて」から

 横井によると、ある日突然、舟木から組曲の作詞をしてほしいと依頼があり、美しいロマン、抒情の世界を求めていることが分かったという。一筋に抒情歌謡の道を歩いてきた舟木の情熱と意欲に応えたいと筆をとった―と記されている。

 

 船村徹の「楽想」から

 昭和50年晩秋の青函連絡船の上。北海道を舞台にした組曲の作曲を依頼され、「今度の北海道行きは、相応の取材旅行でもある。北国の天地の味をたっぷり吸いこんで置くとしよう…」としながらも、函館の湾に入るころにはポケットウイスキーもからになった…。船村らしい。

 

                  ◇

 

 舟木の歌で船村徹&横井弘作品には、「帰郷」(1972年7月)、「サンチャゴの鐘」(1973年9月)、「霧のわかれ」(1977年12月のアルバム「限りない青春の季節」に収録)があると思うが、「北の出船」に関しては日本コロムビアも詳しい情報を持ち合わせていない、舟木の手元にも資料が残っていない…。となると、これはある意味、“幻の組曲”と呼べるほど貴重な作品ということが出来るのではないか。

                                  (敬称略)

 

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 以下は、㈱アイエスのX(旧ツイッター)からです。

 

 

 

 

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