舟木一夫と共に㉗

2つの異色の舞台

東横ホール全景 画像提供=東急
 

 今回は2つの異色の舞台について書く。1973年2月3日から22日まで、東京・渋谷の東横劇場で演出家・松浦竹夫が主宰する「松浦企画」の第1回作品「愛する時も死する時も」が上演された。舟木一夫(木挽悠介)と美輪明宏(サロンの女給・お春、二役)という異色コンビによる日本版「ハムレット」という感じの“艶歌ミュージカル”だ。

 

 舞台は昭和初期の横浜、一幕十場・二幕十場で、義理と人情がからんだ青春の哀歓を描いたものだった。22歳の学生だった私は、舟木&美輪という異色のコンビに魅かれたのかこの舞台を観劇している。その後も最近まで美輪のステージには足を運び、“順番待ち”している楽屋にも何度かお邪魔して話をさせてもらった。

 

「愛する時も死する時も」のパンフレット

 

 舟木はこの中で、「俺の故郷」、「盃の歌」(山内賢とデュエット)、「愛する時も死する時も」(牧れいとデュエット)、「運命の別れ道」、「俺が死ぬ日」などを歌った。音楽は作曲家・いずみたく。それまでに「見上げてごらん夜の星を」「泥の中のルビー」など約50本の作品を手掛け、その中からヒットソングも生まれた。しかし、今回は守備範囲外の艶歌という音楽素材を使わなければならないということで、エレキのサウンドやロックのリズムを使って全て現代的な処理をして作ったという。

 

 松浦は三島由紀夫の戯曲の演出家として知られ、三島の死後は「テアトロ<海>」を主宰。1990(平成2)年夏、舟木に「商業演劇の主役がどういうものか若い劇団員に見せてやってほしい」と、東京・新宿の紀伊國屋ホールで行う「薄桜記~忠臣蔵異聞」(8月31日~9月5日)への特別出演を依頼した。

 

紀伊國屋ホール

 

 舟木には19年前にも演じた役で、快く客演した。舟木はこの舞台を見ていた盟友・林与一から「今度『薄桜記』をやる機会があったら、俺は絶対堀部安兵衛をやるから他の役者にやらせるなよ」と釘をさされた。のちにこれが実現するから、この2人は面白い。

 

「忠臣蔵異聞 薄桜記」のパンフレット

 

 もう一つは1977年7月2日から26日まで、東京・有楽町の日劇で行われた「芸能生活15周年記念 舟木一夫特別公演」で、第一部が「怪傑児雷也」(演出・岡本喜八)、第二部が舟木一夫ヒット・パレード(構成演出・廣田康男)だった。

 

日劇 Wikipediaより

 

 第一部の舟木の相手役はNHK連続テレビ小説「藍より青く」(1972年4月3日~1973年3月31日)のヒロインを演じた女優・真木洋子。舟木はガマの妖術を使う児雷也、真木はナマクジの術を使う勇婦綱手姫、大蛇の精を受けた妖賊大蛇丸に栗塚旭という三すくみの変幻渦巻く中、悪を凝らし父母の仇を討つという劇画タッチのスペクタクル舞台だ。

 

岡本喜八の全映画

 

 「肉弾」「独立愚連隊」などの映画監督・岡本喜八が前年の8月に東宝を辞め、3週間アメリカを旅して帰国するなり、「舞台演出をやってみないか」と声がかかったという。キャメラ(撮影)とハサミ(編集)が使えない舞台には二の足を踏んだが、出し物が「児雷也」と聞いて引き受けた。

 

 「この企画は少年舟木一夫が“児雷也”という活動写真を見た時の幻想から出発したそうだし、私も少年の頃のメンコの“児雷也”に抱いていた幻想から出発した」。岡本は二つの幻想から出発した熱気がどこまで舞台を面白く出来るかが勝負だと思ったという。

 

「怪傑!!児雷也」のパンフレット

 

 舟木はこれより1か月前に主題歌「怪傑!!児雷也」をリリースしている。以前から特撮ヒーロー物が好きで主題歌を歌いたいという希望があったが、スタッフから却下されていた。この舞台上演がきっかけでやっと実現することになり、自ら「すずきじろう」のペンネームで作詞した。

 

快傑!児雷也 (クラシックCD付)

 

 

 

 作曲は「人造人間キカイダー」や「秘密戦隊ゴレンジャー」などアニメや特撮番組の主題歌を手掛けていた渡辺宙明に頼んで実現した。ディレクターの矢部公啓は「(日本コロムビアの)社長に呼び出されて『なんで子供みたいな歌を作るんだ』と注意された」という。渡辺は2022年6月23日、96歳で亡くなった。

 

 

 公演中の10日午後、舟木の父・栄吉が入院していた慈恵医大病院から「午後3時に消化管出血のため亡くなりました」という連絡が入った。栄吉は63歳だった。昼の部の緞帳が下りた後、ヒット・パレードの構成演出をしていた廣田康男が舟木に「覚悟して聞けよ。親父さんが亡くなった。夜できるか」と尋ねた。舟木は「開演が遅れるかもしれませんが病院に行かせてほしい。お客さんには千穐楽に報告します」と言って楽屋を後にし、夜の部の開演時間前に戻ってきた。ディレクターの矢部は「歌の部では必死に涙をこらえていましたが、ファンの方もすでに知っていたようで辛いものがありました」と話していた。

                                  (敬称略)

 

 

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