舟木一夫と共に㉕

ピンク・レディーとランちゃん

 

 今回は「舟木一夫とピンク・レディー」、そして、「舟木一夫と元キャンディーズのランちゃん」について書く。まず、舟木一夫とピンク・レディーから—。

 

 ピンク・レディーは、中学・高校時代の同級生だった根本美鶴代(のちに未唯、ミー)と増田啓子(のちに恵子、ケイ)が1976年に日本テレビの「スター誕生」に出場した際、ビクターのディレクターだった飯田久彦に見いだされた。その後、作詞家・阿久悠&作曲家・都倉俊一コンビによって「ペッパー警部」「S・O・S」「カルメン77」などのヒットで一躍大スターになった。

 

 

 4年7か月の間に一世を風靡したピンク・レディーだったが、新しいアイドルスターが次々に台頭してきたことに加え、ピンク・レディーが裏番組を作ってNHK紅白歌合戦を辞退するという前代未聞の事をしてマスコミから激しいバッシングを受けることになった。

 

 また、アメリカに進出して「Kiss In The Dark」で全米デビューして着実に実績を積んでいったものの、アメリカでの契約更新がないまま帰国した後は再び活躍する場所は用意されていなかった。あっという間に人気が急落し、1980年9月に2人揃って解散を発表することになった。

 

― スター誕生!第500回記念回の収録が行われた日本武道館  ―

 

 解散発表から7か月後の1981年3月31日、みぞれ交じりの小雨が降りしきる東京・後楽園球場で、2人は解散コンサートを行った。球場にはレインコートを着込み傘を片手にした約3万人(主催者発表)が集結した。2人は「ミーっ」「ケイっ」の大歓声の中、全34曲を歌って声援に応えた。

 

 そのラスト曲として選んだのが、前年に舟木が作詞・作曲してリリースした「グッド・バイ・ソング」だった。歓声でかき消されながら、2人は「♪静かに灯りがおちる 小さな旅路は終わる グッバイ・ラブ グッバイ・ソング 明日の出逢いのために…」と歌い終えた。

 

― 11:15~ 「グッド・バイ・ソング」を歌うピンク・レディー ―

 

― 解散コンサートが行われた後楽園球場 ―

 

 当時、阿久悠がピンク・レディーのファイナル用に「OH!(オー)」(作曲・都倉俊一)という曲を用意していたが、解散コンサートのラスト曲として舟木の「グッド・バイ・ソング」を選んだ経緯を未唯(mie)に確認したところ、事務所を通じて「当時組んでいたチームの総意として決めた」という回答が返ってきた。

 

 改めて舟木に聞いたところ、「当時、飯田チャコ(飯田久彦)さんから電話があって、最初は真ん中で歌っていたものを、ツァーをやっているうちに徐々に後ろに来て、後楽園の時にオーラス(最後)になったと聞いている」と教えてくれた。

 

 

 

 

 

 

 一方、舟木と元キャンディーズのランちゃんこと伊藤蘭の関係はどうか。  

 

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 1982年9月9日に創刊した漫画雑誌「コミック・モーニング」(講談社、現在は「モーニング」)のCMが8月から流された。出演は舟木と伊藤蘭。モノクロトーンで3つのパターンがあって、一つは日活青春映画風の「波止場篇」。土砂降りの波止場で、ランちゃんが倒れている舟木に「シンジさん」と呼びかけると、舟木が「2人でブラジルへ」。再びランちゃんの「シンジさん」という呼びかけで舟木がこと切れると、「ガクッ」という文字が出る。2人はノリノリで、放水で土砂降りの中、6時間頑張っていたという。後は“青い山脈”風の「青春篇」と“愛染かつら”風の「サナトリウム篇」。

― 全国紙にも広告が掲載された ―

 

 TVCM、新聞広告の他に“創刊号 予告編”(無料)というダブロイド版26ページの新聞も発行された。表紙と裏表紙はカラーの伊藤蘭。モノクロの中面は見開きで「オトコ純情のコミックです。」という大きな文字。右面は日活青春映画風の船乗り・舟木と波止場の女・ランちゃんの写真と「一夫の航海日誌」。左面は学生風の2人の写真と「蘭子の家計簿日記」。

 

 何人かの著名人による「人が、コミックを語る。コミックが、人を語る。」というページもあって、舟木は「ベスト1は『あしたのジョー』。一番熱中した作品だし、いまもパネルを部屋に飾っている。ラストシーンでこちらの時間が止まってしまった。あれほどの作品はもう出てこないだろうね」などと記している。

 

   ちなみに当時、舟木は37歳、ランちゃんは27歳。やっぱり2人は若~い!!!

 

 


 

 

 
 

 

 

 

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