初代・新歌舞伎座 1953~2009  ―

舟木一夫と共に㉑1か月座長公演 

 

 舟木一夫は1966年10月1日から28日まで、大阪・新歌舞伎座で初の1か月座長公演を行った。長谷川一夫&京マチ子(1月)、三波春夫(3月)、松本幸四郎(4月)、フランキー堺(5月)、橋幸夫(8月)、山本富士子&市川猿之助(11月)らが座長公演を行っていた年で、舟木は弱冠21歳の若さでビッグの1人に名を連ねた。舟木はこの年、「哀愁の夜」「友を送る歌」「絶唱」などをリリースしそれぞれ映画化する一方、NHK大河ドラマ「源義経」(平敦盛役)など多数のテレビドラマにも出演している。 

 

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 当時も今と同じように1日2公演だったが、芝居の演目もショーの内容も昼夜別だった。午前11時30分開演の昼の部の芝居は「大江戸ばやし」(作・谷屋充)と「雨月道成寺」(作・安藤鶴夫)、ヒットパレード・限りなき歌声。午後5時開演の夜の部の芝居は「黄金の卵」(作・松木ひろし)と「若君風流」(作・村上元三)、ヒットパレード・ひたむきな青春。ヒットパレードの司会は玉置宏、ゲストは奥村チヨら。芝居の演目は昼夜とも2作品ずつで、安藤も村上も舟木のために書き下ろした。いまから考えると驚異的と言えるものだ。

 

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 舟木は初座長公演とあって、9月初めから日本テレビの連続ドラマ「雨の中に消えて」(松原智恵子、広瀬みさら共演)の撮影の合間を縫って東京で稽古を続けた。26日に大阪入りし、本番前日の30日も午後10時過ぎまで最後の稽古を行った。当時、大舞台での歌手の1か月公演は美空ひばり、三波春夫、橋幸夫に続くもので、前売り券の発売は9月18日だったが、前日の昼頃から窓口前に“徹夜組”のファンが並び始めた。夜になると、台風22号の接近で風雨が強まったため、新歌舞伎座は急きょ1階ロビーを開放し係員が270人のファンと一緒に徹夜するという事態になった。粋な計らいとはこのことか。

 

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 相手役は当初、和泉雅子の予定だったが直前になって日活側からダメ出しが出たため、急きょ葉山葉子になった。和泉のマネジャーが「いつも相手役ばかり。それより和泉主演の映画を作ってほしい」と日活専務・江守清樹郎に懇願したためだった。葉山は10代からテレビドラマで耐える女の役も演じ、17歳にして“メロドラマの女王”と呼ばれていた。「ハコちゃんは芸能界の幼馴染」という舟木とはこの公演が縁で名コンビになり、今でも“舟木組”には欠かせない存在になっている。私が後に直接インタビューした時、葉山は実に的確に舟木を語ってくれた。

 

― 葉山葉子 昭和スター倶楽部より ―

 

 「新歌舞伎座の公演は、当時20歳だった私も大阪での初舞台だったんです。白塗りも初めてなうえ、昼夜で演目(だしもの)が違っていましたから大変でした。舟木さんは時代劇にものすごくお詳しくていらして、何とかの映画というとパッパッパッと出演者の名前が出てくるし、カツラや衣装、小道具のことなど本当によくご存じなんです。私たち役者のほうが恥ずかしいくらいで、こういう時はどういう衣装かと相談すると、ちゃんと答えてくださるので助かっているんです」

   ― 葉山葉子のサイン ― 

 

 この10月は同じ大阪の梅田コマ劇場で美空ひばりも1か月公演を行っていたが、舟木は「ひばりさんと僕では全然キャリアが違いますし、ヘタに背伸びせずに、僕は自分のカラーを出してやればいいという信念を持って舟木一夫の芝居を見ていただくだけです」とパンフレットに記している。これは舟木の本音だろう。舟木公演は連日補助席が出る超満員。ロビーではキンピラゴボウ、カマボコ、梅干しなど舟木の好物が入った“舟木弁当”が飛ぶように売れた。楽屋には毎日、舟木の母・節と叔父がかけつけて身の回りの手伝いをしていたという。              (敬称略)

 

 

― 8分27秒~新歌舞伎座閉館の様子が伺える ―

 

― 梅田スカイビルから淀川方向のパノラマ ―