舟木一夫と共に⑯赤穂浪士~忠臣蔵

 

NHK想い出倶楽部II 赤穂浪士 第47回 ~討入り~ [VHS]

 

 

 1964年1月5日午後8時45分から9時29分まで、NHK大河ドラマとしては「花の生涯」に続いて2作目になる「赤穂浪士」の放送が始まった。制作は毎週金・土・日曜の午後10時からNHKテレビ第一スタジオで行われ、ビデオテープで撮る本番の日曜日は明け方まで撮影した。当時のビデオテープは高価だったため、撮影したものは放送終了とともに消去して再利用され、現存しているのは第47話(討ち入り)と総集編だけだという。

大河ドラマ 赤穂浪士 第47回 討ち入り

― 大河ドラマ 赤穂浪士NHK ARCHIVESより ―

 

 出演は大石内蔵助に長谷川一夫、妻・りくに山田五十鈴、吉良上野介に滝沢修ら映画界、歌舞伎界、新劇などから超豪華な顔触れが揃った。とりわけ大映の看板俳優だった長谷川の起用は、大物映画スターはテレビに出ないという“常識”が破られた瞬間で、娯楽の中心が映画からテレビに移りつつあることを強く印象付けた。歌手デビュー半年後の舟木一夫の役は矢頭右衛門七。1月14日に立ち稽古を行い、翌15日夜に初めてカツラを付けて本番の録画に臨んだ。

 

― 泉岳寺の大石内蔵助像 ―

 

 19歳の舟木はこのドラマで堀田隼人役の林与一(当時21歳)と共演した。林が長谷川一夫の付き人をしていたこともあって、長谷川は「あの子(舟木)、時代劇は初めてのようだから、困ったら教えてあげてや」と舟木にも気を使ってくれた。ベテラン・長谷川と新人・舟木の“2人の一夫”の出演というPRも手伝って平均視聴率は31.9%、舟木登場の2月23日は50.5%、最高視聴率は吉良を討ち取った後の「引揚げ」の53.0%で、この記録は大河ドラマ史上破られていない。

 

 

― 泉岳寺 4月1~7日、12月14日義士祭が開催される ―

 

 余談になるが、「赤穂浪士」の撮影中にはこんなこともあった。舟木と林の撮影予定が入っているところへ、山田五十鈴や宇野重吉ら重鎮が入ってくると2人の出番は後回しになる。ある時、同じようなことがあってまた遅くなるなということで、2人が時間つぶしに舟木が住んでいた四谷のマンションでコーヒーを飲むことにし、扮装のまま刀も持って車に乗って向かった。交差点で止まった時、警察官が窓から覗いて「あなた方は一体何ですか?」と職務質問してきた。困った舟木が「♪赤い夕日が~」と歌い出すと「あっ!舟木さんですか」。まかり間違えば現行犯逮捕されるところだった。

 

― 赤穂城の城門と櫓 ―

 

 舟木はこの後も「源義経」の平敦盛、「春の坂道」の徳川忠長(駿河大納言)、「毛利元就」の諒梨景勝役など3本の大河ドラマに出演している。また、忠臣蔵絡みでは1999年1月2日にテレビ東京で放送された「赤穂浪士」に清水一学役で出演。四十七士が吉良邸を討ち入りした際に死んでいくシーンは圧巻だった。さらに、芸能生活55周年記念として2017年12月2日から24日まで東京・新橋演舞場で通し狂言「忠臣蔵」(前編・昼の部~花の巻、後編・夜の部~雪の巻)を舞台に乗せ、大石内蔵助を演じた。

 

 

 舟木は以前から大石内蔵助については自分が演じてはいけない役だと言っていた。担当プロデューサーから勧められた際も3年間迷い続け、やるなら通し狂言でということで決断した。そして、この舞台では浅野内匠頭に若者にもファンの多い尾上松也、千坂兵部にプライベートでも交流のある里見浩太朗、妻・りくに舞台共演のある紺野美沙子、吉良上野介に親友の林与一らが共演した。とりわけ、大河ドラマ以来53年ぶりに筆頭の大石、吉良役をやることになった舟木と林は「まさかこうなるとはねぇ」と特に感慨深いものがあった。

 

 

 舟木の娯楽時代劇には欠かせない脚本家・斎藤雅文が「忠臣蔵」のパンフレットに「五年の間、舟木さんの科白(せりふ)を書いていると、原稿用紙に向かう私の脳の奥で、舟木さんの声が聞こえるようになる。登場人物が、作者の意図を越え勝手に動き出す瞬間だ。その舟木さんの内蔵助は、遊女の膝枕で『討ち入りなど、誰が望んでしたいものか…』と平然とうそぶくのである。困った!……私は、どうやってこの情にもろい、優しい舟木内蔵助に無事討ち入りを果たして貰えるのか……?」と書いている。私が気に入っている箇所だ。                     (敬称略)