舟木一夫~写真で見る最近の故郷

 私の弟夫婦が最近、名古屋方面を旅行する機会があり、舟木一夫さんの故郷・愛知県一宮市萩原町まで足を伸ばして、何枚かの写真を撮って来てもらいましたので、ご紹介します。

 

 

 

 上の写真は名鉄尾西線萩原駅。舟木さんが頻繁に利用していた駅です。2007年11月までは有人駅でしたが、今は無人駅になっています。私も約10年前に舟木さんの取材のために訪れました。JR名古屋駅から尾張一宮駅に出て、尾西線の津島行き2両編成の真っ赤な単線電車に乗り換えて4つ目が萩原駅でした。弟によると、駅前の案内板には市川房枝の名前はあったものの舟木さんの名前は見当たらなかったということです。

 

 

 1日の利用客は2000人強で、萩原商店街が毎年5月に行っているチンドン屋の全国大会である「チンドン祭り」でチンドン屋が集まるときは、最寄り駅になるため多くの乗降客が利用するということです。ここ一帯は江戸時代には美濃路の萩原宿として賑わっていました。商店街の通りには江戸時代の名残の格子戸などもありますが、駅前の古い建物にはかつて馬車が繋いであったそうで、鈴が残っていました。

 

 

 上の写真は舟木さんの生家跡です。舟木さんの「ROCK’N ROLLふるさと」(作詞&作曲・上田成幸)によると、♪俺のふるさと愛知県 一ノ宮からのりかえて 単線電車で十二・三分 その名も萩原町 駅の正面 右折して 徒歩で六分 つきあたり これこそオギャアと このオレ様が お産まれになった 長屋…。まさに歌詞通りの場所でした。

 

 私が訪ねた約10年前には舟木さんが育った二階建ての長屋(無人)が残っていて、「舟木一夫生家跡」という立て看板もありました。その後、2013年に長屋は壊され、今は「ユニヴァリィ フナキ」というアパート(上の下の写真)に建て替えられています。道路沿いの北側のフェンスには「舟木一夫 ゆかりの地 跡」という看板があります。

 

 


郷土資料館の前には「ROCK’N ROLLふるさと」の歌碑がありました

 

 踏切を渡ったところに「萩原郷土資料館」(上の写真)があります。運営しているのは萩原町郷土史研究会事務局長の金子光二さん(60)。金子さんは、舟木さんの生家の長屋が取り壊されたのを機に、跡地に「ROCK’N ROLLふるさと」の歌碑を建立したのと合わせて、長屋の大家さんから倉庫を提供してもらい、大幅に改装して資料館を建てました。

 

 「郷土資料館」となっていますが、資料館には舟木さんが出演した映画や舞台のポスター、写真など約1000点の“舟木グッズ”が所蔵されていますから、実体は「舟木一夫記念館」という感じです。舟木さんが自分の故郷に資料館や記念館を建てることには気が進まないとかねがねおっしゃっていますので、この命名はそういうことにも配慮されたんだと思います。

 

 下は資料館に展示されている“舟木グッズ”の数々です。

 


 

 

 

 

 

 

 

「がんばりの像」ミニチュア復刻版~舟木さんが一宮市立萩原小学校

        のみどりの庭に寄贈━とあります。下は実際の「がんばりの像」です

 

 

 

デビュー時代の舟木さんのサインです

 

 

 

 

 弟夫婦は「萩原たこ吉」のご主人に出会う機会に恵まれました。ご主人の話では、お父様が舟木さんの父親、栄吉さんとお付き合いがあり、舟木さんの初めてのサイン会の際は、当時お父様が経営していた「吉川牛乳店」のカレンダーの裏に〇〇に当店2階で行いますと書いて張り出しました。お父様は本当に集まってくれるか不安がっていましたが、ふたを開けてみると驚くほどの人が集まりました。ご主人は当時小学4年生でしたが、舟木さんは彼の勉強机の上でサインを書いていたそうです。


横の赤い看板の舟木一夫写真展示会場ではかつて展示会も行われていました

 

 

 

 また、舟木さんが島倉千代子さんの前座歌手として出演した際は、芯を抜いたテープをステージの舟木さんに向かって投げ、舟木さんの歌の間奏の時にはまだ幼かったご主人の妹さんが舟木さんに花束を手渡したそうです。お父様が引き受けた以上、こうやって家族ぐるみで舟木さんの応援をしていました。

 

 吉川牛乳店の前で記念撮影に応じる舟木さん

 

 下の写真は舟木さんの父親、栄吉さんはじめ上田家の墓があった観音寺。栄吉さんは1977年7月10日、消化管出血のため亡くなりました。享年63。舟木さんが日劇で「怪傑児雷也」の公演中でした。舟木さんは後に東京・新橋演舞場で「おやじの背中」を演じるにあたって、1998年7月10日の命日に観音寺を訪ね、栄吉さんに1か月公演の墓前報告を行いました。墓はその後、東京に移されたと聞いています。

 

 

 

 下の写真は舟木さんが母校、一宮市立萩原中学校に寄贈した時計です。

 

 

 下の写真は、一宮市の中心部に鎮座する真清田神社(ますみだじんじゃ)。創建は明らかでないようですが、戦後に再建されたもので、境内は約3万平方メートルあります。舟木さんはその境内摂社である服織神社(はとりじんじゃ)に、デビュー2年後の1965年に大鈴(その下の写真)を奉納しています。

 

 服織神社は縁結びの神様、織物の神様で、この神社の祭りが「一宮七夕祭り」です。御園座で舟木さんの公演が行われる際は、多くの舟木ファンが参拝と大鈴の見学を兼ねて訪ねています。

 

 

 

 

 

 

 第68回おりもの感謝祭一宮七夕まつりは、2023年7月27日(木)から30日(日)までの4日間。御衣奉献大行列、ワッショイいちのみや、コスプレパレードのほか、ダンスコンテスト、盆踊り大会などが行われる。問い合わせは協進会事務局0586-28-9131。

 

 

 

 

 

― おりもの感謝祭一宮七夕まつり ―