舟木一夫~「田舎の教会」の頃のお話し

 

 私は拙著「舟木一夫の青春賛歌」(産経新聞出版)の中で、舟木さんが“寒い時代”の行動について、次のように記しました。

 

舟木一夫の青春賛歌

 

 1978(昭和53)年からは年に1、2枚のシングルを出すだけで、後援会員向けのコンサート(註:ふれんどコンサートなど)以外、大きなステージもなくなってくる。30代半ばに差し掛かったころだった。自分は一滴も飲めないのに、酒の強いニューミュージックやフォーク系の仲間と付き合い、夜の街を徘徊する毎日にはまり込んでいった。

 

 

 当時のマネジャーは舟木から「歌謡曲とニューミュージックの間を狙おう。ついては自分で曲を作る必要がある」と聞かされた。そして、舟木は3人組のフォークグループを東京・小石川のアパートまで訪ねてギターの特訓を受けてシンガーソングライターを始めたという。

 

 

 そのころだった。舟木のポスターに「さ・よ・な・ら 高校三年生」の活字が躍った。「『高校三年生』を今後一切歌わないというのではなく、歌が大名作すぎる。歌は残り、歌い手そのものが懐かしくなってはまずい。改めてリリースするレコードに40点や60点はいらない。負けるなら10点以下、勝つなら90点以上で勝ちたい。ひと騒ぎ、お祭りをやろうよ」。そんな文面からは、舟木の焦りさえ感じられる。 

 

 舟木さんが「田舎の教会」を書いたそのころのエピソードをご存知の方はいらっしゃいませんかとブログ「akiraの青春賛歌」で募いましたところ、情報通のセブンアップさんから、以下のようなコメントをいただきました。

 

 ふれんどコンサートが始まったころは、若い世代の“フリーランサー”という3人の方たち(川崎弘、佐々木久美子、田中ヒロユキ)とよく一緒にステージにたたれていました。「眠らない青春」や「急げ幌馬車」(註:第1回ふれんどコンサートで披露しています)、「田舎の教会」などを共に歌われて楽しげでした。多分、この若者たちと一緒に作詞・作曲されていたのではないでしょうか。

眠らない青春

 

 久美ちゃんとの「想い出通り」のデュエットは今でも聞きたいくらい素敵にハモっておりました。9回あたりにはメンバーが川崎さんだけ残り、他の人たちに~。そして同じステージにも参加することはなくなって行きました。でも歌の数々は今でも歌い継がれていますね!

 

 舟木さんと3人との打ち合わせの写真が、後援会員の機関誌「浮舟」のNo121号(1977年4月号)に掲載されており、写真も送っていただきました。この写真については舟木さんの許可が必要ですので、「浮舟」をお持ちの方は引き出してご覧になってみて下さい。

 

   いずれにしても、こういう時代を潜り抜け、今の舟木一夫があるわけです。「高校三年生」はコンサートで欠かさず歌われています……。