立ち話 (クラシックCD付)

 

舟木一夫の「立ち話」について

~最初は“阿久悠&三木たかし”だった!?~

 

 舟木一夫さんの「立ち話」(作詞・尾中美千絵、作曲・三木たかし)について、三木さんが作曲されるに至った経緯などについて、ご存知の方は教えて下さいとお願いしましたところ、セブンアップさんからコメント欄に貴重な情報を寄せていただきました。最初は“作詞・阿久悠”の予定だったことを知り、改めてお伝えしたいと思い、追記の形で書かせていただくことにします。

 

― NHKアーカイブスより  作詞家阿久悠 ー

 

 

― NHKアーカイブスより 作曲家 三木たかし ー

 

 セブンアップさんによりますと、この件については、舟木さんご自身が1978(昭和53)年3月号の後援会誌「浮舟(うきふね)」に書かれているということでした。それによると、舟木さんは「15周年ラストの記念盤として、初めてご一緒させていただく阿久悠・三木たかし両先生の詩、曲のレコードが発売されます。僕も大変楽しみにしています」ということで、最初は阿久さんが予定されていたことが分かりました。

 

 ところが、「浮舟」5月号には「新曲の作詞が尾中美千絵さんに決定しました。A面“立ち話”B面“この胸に帰れ”と。特に理由はなく制作途上での単なる変更はレコード制作には良くあることです。決定のサインを受けた僕がたまたま皆さんにお知らせした後の変更になったので ? と思われた方々があるのではとこれを書いています」と綴られています。

 

石川さゆり 津軽海峡冬景色 野の花のように 7inch 演歌 天城越え 津軽海峡 冬

 

 「立ち話」が石川さゆりさんの「津軽海峡・冬景色」(阿久&三木)の直後の楽曲という経緯からしても、この時期に“阿久&三木”という形は十分あり得た話です。阿久さんならどんな詩を書かれたか、想像するだけでも楽しいです。しかし、結果的には尾中さんが素晴らしい詩を書かれました。ちなみに、尾中さんが山上路夫さんの奥様であることも知りませんでした。これも“追記”です。

 

ピンク・レディー ベスト PBB-07

 

 舟木さんと阿久さんの話と言えば、ピンク・レディーが1981年3月に解散に向けたコンサートを行っている際の話があります。最初は舟木さん作詞・作曲の「グッド・バイ・ソング」を真ん中あたりに入れて歌っていましたが、徐々に後ろに来て3月31日に東京・後楽園球場で行ったラストコンサートでは、阿久さんがファイナル用に作った「OH!」を押しのけて(?)ラストソングになりました…。

 

 

 ところで、ブログで「浮舟」の話を取り上げると、会員でない皆さんからお叱りを受けるかもしれませんが、これは過去の必要な情報としてお許しください。私もこの後援会誌は必ず読んでいたはずですが、まったく脳裏から離れていました。これも年(トシ)のせいなんでしょうか。ともあれ、これも含めて過去のものは取り置いてあるはずですので、時々読み返してみないといといけませんね(笑)。