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ハリー・ベラフォンテさん逝く

~少年時代の舟木一夫さんが強い影響受ける~

 

4月26日付スポーツ報知

 

 「バナナ・ボート」や「さらばジャマイカ」などのヒット曲で知られるアメリカの歌手、ハリー・ベラフォンテさんが2023年4月25日、ニューヨークの自宅でうっ血性心不全のため亡くなりました。96歳でした。ニューヨーク・タイムズ(電子版)などが報じたものです。

 

 

U.S.A. For Africa/We Are The

 

 1927年、ニューヨークでカリブ系の移民の子供として誕生。幼少期をジャマイカで過ごし、50年代に歌手としてデビュー。“デー・オ”の歌い出しで知られる「バナナ・ボート」などを収録したアルバム「カリプソ」が大ヒット。映画やテレビ番組の俳優としても活躍しました。「バナナ・ボート」は日本でも浜村美智子さんらがカバーして人気を呼びました。

 

Calypso/Belafonte Sings of the

 

バナナ・ボート

 

 社会活動家としても活躍したベラフォンテさんの死を受け、バイデン米大統領は「功績は偉大だ。また、率直な主張、思いやり、人間の尊厳への敬意というレガシー(後世に残したこと)は続く。偉大な米国人として記憶されるだろう」という声明を発表しました。その他、多くの追悼の言葉が寄せられています。

 

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 将来についてまだ漠然としていた上田成幸少年(のちの舟木一夫)は、三橋美智也さんとともにベラフォンテさんから強い影響を受けました。愛知県一宮市立萩原中学1年の夏休み、ラジオからベラフォンテさんの「マティルダ」が流れてきました。1959年4月にニューヨークのカーネギーホールで行ったコンサートのライブ盤LPに収録されていた曲でした。成幸少年が「歌手」に一歩も二歩も近づいた瞬間でした。 

 

マティルダ・マティルダ!

 

 「マティルダ」はコンサートのラスト曲で、ベラフォンテさんが観客に向かって、前半分、後半分、一階席、二階席へと順番にコーラスを要請、最後は全員の大コーラスになりました。これを聴いた後の興奮と感動は成幸少年の体を電流のように駆け抜けていきました。成幸少年はそのLPがどうしても欲しくて、姉が勤めていたJR一宮駅近くの大口屋デパートで1か月ほどアルバイトをして、1700円か1900円で手に入れました。

 

ベラフォンテさんの初来日公演で制作されたパンフレットやチケットなど

 

 舟木さんはコンサートの後半でバンドの演奏を止めて、シーンとした会場で「高校三年生」や「学園広場」を観客同士で合唱してもらうことがよくありました。客席をいくつかのグループに分けて、輪唱のように順番に歌ってもらうということもありました。ベラフォンテさんがカーネギーホールで行った「マティルダ」の場面を意識されていたのでしょうか。