舟木一夫in新歌舞伎座③
~コンサート2023.3.21~
新大阪駅に向かう新幹線の車中で侍ジャパンがWBCの準決勝でメキシコに劇的なサヨナラ勝ちをしたというニュースに接しました。舟木さんが21日のコンサートのトークでどうコメントするかも楽しみに、13:00ごろに大阪・上本町の新歌舞伎座に到着しました。6階の新歌舞伎座に足を踏み入れた時は、コロナ禍が明けて本当に久しぶりに“戻って来ました”という感慨を持ちました。
コンサートの報告を私自ら行う前に、実際に足を運んで感じた3つのポイントを挙げておきましょう。
(1)ナマで聴く舟木さんの声は絶好調で、トークも冴えていたこと
(2)侍ジャパンが世界一になったら「君が代」を歌う約束をしたこと
(3)休演日に約3年ぶりにスロットを楽しんで“大勝ち”したこと
14:00過ぎに緞帳が上がると、舟木さんは黒の半襟に白いドット柄のあるグレーの着物、兵児帯、素足に雪駄という姿で、「浪花の歌ごよみ」を歌いながら舞台中央の階段上から登場。
「いい天気が続いて抜けるような青空の中(この日はどんよりした曇り、笑い)、ようこそいらっしゃいました…という気分でご挨拶させていただきます。実は、初日にご挨拶を忘れ、おととい2日分の挨拶をさせていただきました(笑)…。去年もこの歌でオープニングしました。柔らかい言葉の歌が続きます」と話し、“浪花”の歌から。
そして、「前回お話ししていますが、1曲ごとの拍手は要りません。拍手が欲しい時は頭を下げさせていただきますので、その時によろしくお願いします。きょうは1曲ごとの拍手を忘れて、ぼーっと楽しんで下さい。気持ちよくなったら寝ちゃってもかまいません」――毎回、必ず言われますが、舟木さんのお客さんに限って義理で拍手をしている方はいらっしゃいません。感動的な歌には思わず自然に拍手が出ます。これを止めるのは無理ですね(笑)。
「大阪の方で“男心”というと、貧乏してる、女房に苦労かけてる、酒は飲む、ばくちは打つ…。その分だけ女性は我慢強い。ここは“女心”を3つばかり」として、「大阪しぐれ」「浪花盃」「道頓堀(とんぼり)人情」。
舟木さんは大阪で生まれたわけでも育ったわけでもないため、“浪花”の気持ちは分からないだろうと思われますが、「僕は何人かの継母がいて、最後の継母が貝塚の人でした。大阪弁とは少し違うかもしれませんが、小学6年生から成人するくらいまで、その言葉の中で育ちました…」
「河内おとこ節」を歌い終えた後、「おととい中村みっちゃん(中村美律子)の振り真似をして歌った際、膝を曲げこぶしを作って歌う姿にトイレを我慢してんの…と話しましたが、みっちゃんにはここ2年程会っていない。元気にやっているでしょう。他人事みたいですね、他人事です(笑)」。残念ながら、きょう21日は形態模写はありませんでした。19日のお客さんは得をしましたね。
「大阪で有名人と言えば、坂田三吉、桂春団治、市川段平をモチーフにした新国劇の殺陣師段平。この3人をテーマにした歌を3つ」。「浪花恋しぐれ」「王将」「王将・夫婦駒」「殺陣師一代」と続きます。「浪花恋しぐれ」で舟木さんが台詞を語られた時、かつてNHKBSの歌謡番組で舟木さんが“本家”の都はるみさんとデュエットし、舟木さんが台詞を語り始めた途端、はるみさんが大照れしていたのを思い出しました。
30分の“トイレタイム”を挟んだ第二部は、くすんだオレンジ色のジャケット。襟の下だけ黒、黒のポケットチーフ、黒の蝶ネクタイ、黒のベストとズボン姿で中央階段の上から「立ち話」を歌いながら登場。「立ち話」は作詞・尾中美千絵さん、作曲・三木たかしさんで、1978年6月にリリースされた曲ですが、私は歌詞の内容、曲調ともかなり好きな歌で、舟木さんにとても似合っていると思います。歌い終えると―。
「WBCはすごかった(客席から大きな拍手)。神がかっていましたね。日本は明日優勝します。優勝したら私が『君が代』を歌いますから。私の歌を聴きたかったら、明日も来て下さい。あのチームで『君が代』を歌うのは栗山監督だけですから(笑)。それから、昨日、実は僕は3年ぶりぐらいにスロットに行ってゴッドの台でゴッドを引いた。28000円勝っちゃった(拍手)。神がおりてきたんです」――コロナ禍の私のインタビューに「私はもうスロットをやりたいとは思わない」と答えられたのを聞いていたので、ちょっと驚きましたが、何があったのかは知りませんが、舟木さんの元気の裏返しですから、いいことじゃないですかね。
その後、「北国の街」などを歌い終えて、「今、気が付いたんですが、『北国の街』は1番と2番を間違えて歌ってしまった。しかし、芝居で台詞を間違えることはよくあることです。どうってことはないんです(笑)」。そういうことをイチイチ気にしていたらキリがないというとで、完全に開き直っていましたね(笑)。
「赤い夕陽が~と歌うと、夕暮れにカラスがカア~、カア~と鳴いて飛んでいく。そんな遠い懐かしい風景が目の前に浮かぶ。かつての週刊新潮の表紙ような光景…。ここでは青春歌謡はこういうものだというものを4つ並べてみました」として、「山のかなたに」「あいつと私」「雨の中に消えて」「青春の大阪」を歌いました。ここで「青春の大阪」を選曲されたのは、大阪(大阪市?)への心配りですね。
「60年経ちました。デビューしたのが6つ(笑)で、去年の12月の誕生日に78歳になった。あっという間と言えばあっと言う間。過ぎてみると、経験した傷のようなものも痛みのようなものも、失敗して起こしたヤケドのようなものも全て愛おしくなってくる。それが流行歌なんでしょう…。皆さまのお耳に残っている歌、誰の歌であっても、その歌が出てくると、その時代の風景を持って来てくれます。ちょうど春のセンバツ高校野球が始まったということで、これは歌わない訳に行かないだろうと」
歌い出す前に、ブルーグレーのジャケットにポケットチーフは黒に白の模様が入ったものに着替え。「涙の敗戦投手」を頭に、「高校三年生」「修学旅行」「仲間たち」「学園広場」へと一気に。きょうは東京のコーラス隊と違って、大阪の3人組のお嬢さん(!?)の声がやたら若く可愛く聞こえたのは、私の耳の錯覚でしょうか?
「いつも言うことなんですが、私とお客さんのどちらが欠けてもしょうがない。舞台に立つ人がいなくても、聴いてくれる観客がいなくても成り立たない。お雛様とお内裏様の関係。どちらが欠けてもダメ」――舟木さんが良く話されることですが、舟木さんの声もトークも絶好調、スタンディングで見せるお客さんの“あの活力”も。どう見ても当面どちらかが欠けることはあり得ませんね。ああ、言い忘れましたが、お客さんと言えば、大阪は東京に比べて男性客がものすごくに多いのにも驚きました。
黒のジャケットに白のストールに着替え。「ラブソングは歌い手の年齢によっても全く違っちゃう。僕の場合、歌詞の中身が純情なんです。歌っていた僕の中身が純情なんです。歌っていた僕も、聴いていた皆さんも純情だった。その純情派どこに…(大笑い)」。
いつにも増して冴え渡った口笛とともに「哀愁の夜」。バラードバージョンの「高原のお嬢さん」。そして「湖愁」。「『湖愁』は『高校三年生』以上に大切な曲。僕を『高校三年生』に導いてくれた曲。名古屋のジャズ喫茶の松島アキラショーに週刊誌の記者が来ていて、僕の歌(「湖愁」)を聞いてホリプロの堀威夫さんに紹介してくれ、コロムビアのオーディションでも歌った…」。
「今なぜ『湖愁』なのか。いまだにこの歌を歌うと16、17歳の頃に戻してくれる。ただただ歌が好きで、ただただ歌いたかった、その頃に戻してくれる。そんな大切な歌なんですね。その『湖愁』を12月に新曲として発売しました」
このあと、西條八十の世界(「絶唱」「夕笛」)を歌い終えると、客席に背中を向けて階段を上がり、中段で「初恋」へ。最上段に向かいながらライトアップ。段上で三方にお礼し、幕が下りる。舟木さんが「初恋」を4番まで歌われるのを聴いたのは2回目か3回目。それほど歌われないので、今回は貴重なコンサートです。
会場のアンコールを求める手拍子とともに再び幕が上がると、舟木さんが上着を脱ぐと同時に客席はオールスタンディングで「銭形平次」へ。皆さんもノリノリでした。歌い終えると、階段を上ることなく、下手から上手へ、そして2階、3階にも礼をして嵐のような拍手(!?)の中、終演しました。なかなか“いいステージ”でした。
さて、22日は舟木さんの初めての「君が代」が聴けるのでしょうか? 行かれる方は楽しみですね。
<第一部>
浪花の歌ごよみ
大阪ぐらし
お百度こいさん
大阪しぐれ
浪花盃
道頓堀(とんぼり)人情
てなもんや三度笠
河内おとこ節
浪花恋しぐれ(台詞入り)
王将
王将・夫婦駒
殺陣師一代(台詞入り)
<第二部>
立ち話
東京は恋する
北国の街
ふたりだけの街角
山のかなたに
あいつと私
雨の中に消えて
青春の大阪
涙の敗戦投手
高校三年生
修学旅行
仲間たち
学園広場
哀愁の夜
高原のお嬢さん(バラード・バージョン)
湖愁
吉野木挽歌~絶唱
夕笛
初恋(4番まで)
アンコール
銭形平次~スタンディング