舟木一夫&大原麗子㊦

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 大原麗子さんは1965年12月31日に公開された東映映画「網走番外地 北海篇」(石井輝男監督)で高倉健さんと初めて共演しました。19歳でした。この作品も含めて「網走番外地」シリーズには計5作に出演しています。高倉さんとはその後、代表作「居酒屋兆治」(1983年)など何本もの映画で共演していますが、大原さんの一番のお気に入りは1992年4月11日(前編)と18日(後編)にNHKで放送されたドラマ「チロルの挽歌」だったようです。

 

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 大原さんは北海道芦別市を舞台に夫婦役を演じたこの作品を“生涯の代表作”と自認していました。大原さんが亡くなった時、このドラマのDVDがプレイヤーの中に入ったままだった(実弟)ということですから、何回もご覧になっていたのでしょう。脚本は大原さんが尊敬してやまない山田太一さんで、のちにギャラクシー賞奨励賞を受賞しています。
 
 大原さんの実弟は大原さんの死後、「姉はずっと健さんに恋をしていたと思う」と語っています。大原さんが後に暮らしていた世田谷区の豪邸は高倉さんの自宅から10分くらいの場所でした。また、高倉さんは大原さんの死後、「お別れの会」には出席せず、後日、一人で世田谷区の妙壽寺にある墓所を訪れ掃除し、30分以上語り掛けていたと寺の関係者が証言しています。
 

 

 大原さんは“恋多き女”とも言われました。舟木一夫さんとの熱愛が週刊誌などで報じられたのは1970年ごろです。前回書きましたTBS系ドラマ「恋愛術入門」での共演が1971年1月10日ですから、最初に報道があったのは、この番組の収録前後ごろではないでしょうか。私の手元にある資料では、大原さんの恋愛情報が公に書かれたのは舟木さんが初めてです。

 

 「週刊平凡」の1970年7月9日号の見出しは「舟木一夫が告白した意中の女性 それは大原麗子 親密な交際じつに2年間!」。この中で舟木さんは「今まで交際したガールフレンドの中で最高の女性」と語り、大原さんも「クールで哀愁のある彼のファンだったけど、交際してみると頼りがいのあるあたたかい人」と話しています。書きぶりでは、すぐにでも結婚しそうな感じです。
 
 もっとも、大原さんのデビュー当時からのマネジャー・K子さんによりますと、大原さんが渡瀬恒彦さんと交際中に舟木さんからも交際を申し込まれたが、大原さんが渡瀬さんに夢中だったからお断りしたと語り、この週刊誌情報を否定する形になっています。ただ、舟木さんはその後も大原さんを心配して連絡があり、大原さんの三回忌と七回忌には「大きなお花をいただきました」(K子さん)と話しています。

 

 K子さんの話を裏付けるように、大原さんは「週刊平凡」の報道があった3年後の1973年9月に渡瀬さんと結婚しました。しかし、“主婦には収まりきれない”という大原さんと“主婦に専念してほしい”という渡瀬さんの母親との考えが合わず、この嫁姑問題が原因(?)で5年後の1978年2月に離婚しています。

 

 ちなみに、渡瀬さんと離婚した年の12月27日に公開された「男はつらいよ」の第22作になる「噂の寅次郎」に、大原さんはマドンナ・水野早苗役で出演しています。ゲストは室田日出男さん、泉ピン子さん、志村喬さんでした。

 

  ― 1978年12月公開 22作目 ―

 

男はつらいよ 噂の寅次郎 HDリマスター版(第22作)

 

 大原さんは離婚翌日の2月14日にマスコミに「恒彦さんと私は決して憎み合って別れたのではありません。夫婦という絆は切れても、恒彦さんを男性として人間として心から尊敬しています」という声明文を発表。翌日にはロケ先で、「彼から子供を産むか仕事を取るかと言われ、私はどうしても子供をつくる方を取ることは出来なかった」と具体的に話しました。

  

 渡瀬さんも同日、「彼女は僕が女優として認めている数少ない一人。だから、仕事をやめろとは言えなかった。彼女をちゃんと包んでやれなかったのが原因です」と明かしています。

 

 

 大原さんが別のところで「離婚して顔を背け合う関係って嫌」と言われている通り、離婚後も渡瀬さんとの交友関係は続き、のちに大原さんのことを心配した渡瀬さんが自らが主演している人気番組「十津川警部シリーズ」への出演を勧め、大原さんは2004年12月27日放送の「東北新幹線『はやて』殺人事件」に出演しました。これが大原さんの遺作になりました。
 
台本 十津川警部シリーズ33 『東北新幹線「はやて」殺人事件』 渡瀬恒彦/西村京太郎 原作
 
 

大原麗子主演 大河ドラマ 春日局 完全版 第弐集 DVD-BOX 全6枚セット【NHKスクエア限定商品】

― 1989年 NHK大河ドラマ「春日局」 ー

          1989年1月1日~12月17日まで放送。最高視聴率は39.4%

 

 大原さんは渡瀬さんと別れた後、2年後の1980年6月に森進一さんと再婚しますが、1984年6月に離婚しました。大原さんは「家庭に男が2人いた」と語りましたが、渡瀬さんの時と同じように、“女優を捨てきれなかった”のが原因だと思われます。さらに、森さんとの間の子供を中絶していたことも後に実弟の証言で発覚しました。森さんは当時は知らなかったようです。
 
 ちなみに、森さんと別れた年の12月28日に公開された「男はつらいよ」の第34作になる「寅次郎 真実一路」で、大原さんは2回目のマドンナ・富永ふじ子役で出演しています。不思議なもので、前回は渡瀬恒彦さんと離婚した年の年末、今回は森進一さんと離婚した年の年末の出演となりました。
 

男はつらいよ 寅次郎真実一路 HDリマスター版(第34作)

― 1984年12月公開 34作目 ―

 

 ところで、大原さんの魅力の極致と言えるのは、1977年から1987年まで放送されたサントリーレッドのCMではないでしょうか。博報堂のCMプランナーとして活躍していた藤井達朗さんが企画し、映画監督の市川崑さんが演出したものです。愛する旦那に振り回されつつも、健気に尽くす女性を演じるシリーズで、キャッチフレーズ「すこし愛して、なが~く愛して。」と「ときどき隣りに、おいといて。」が評判になりました。大原さんは藤井さんが急逝した後、1988年から1990年までオールドのCMにも出演しています。
 
 
 大原さんは晩年、左目を二重にするための整形手術が失敗、若い頃に発症した5万人に1人と言われるギラン・バレー症候群が再発、母親の介護などで疲れ、精神安定剤などを摂取し、周囲にも強くあたるようになったと言われています。大原さんは2009年8月6日、連絡が取れずに不審に思って警察に通報していた実弟らによって、自宅で死亡しているのが発見されました。行政解剖の結果、亡くなったのは8月3日で、死因は不整脈による脳内出血と診断されました。もう14年経つんですね……。

 

 

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