「内藤洋子」という生き方㊦

 

 

 東京映画「その人は昔」は、脚本・監督を松山善三さん(2016年8月27日、老衰で死去。91歳)が務められた。奥さんは女優でエッセイストの高峰秀子さん(2010年12月28日、肺がんで死去。86歳)。松山さんは、舟木さんのアルバム「こころのステレオ その人は昔~東京の空の下で~」を制作する際、日本コロムビアのディレクターだった栗山章さんが「叙情を書かす作詞家ならこの人をおいて他にいない」と太鼓判を押して起用した方で、その流れで映画の脚本も手掛けることになったものです。

 

こころのステレオ その人は昔―東京の空の下で

 

こころのステレオ その人は昔―東京の空の下で

 

 北海道・襟裳岬近くの漁村に住む貧しい男女が東京に夢を見て上京するが、都会の厭らしさに夢破れた彼女は自ら命を絶ち、何の救いの手も差し伸べられなかった彼は傷心して故郷に戻る…という悲恋物語。松山さん自身がかつて北海道を周遊した際、襟裳岬に近い百人浜の美しさに魅了されたのが“原風景”になっていました。アルバムの作曲を依頼されていた船村徹さんが松山さんの書かれた作詞の束を見た時、「これでは週刊誌の記事に曲を付けるようなものじゃないか」と驚かれたと言います。

 

― 襟裳岬 ―

― 百人浜 えりも観光ナビより ―

 

 映画のロケは1967年5月22日に松山監督ら一行が百人浜に入ったのに続き、舟木さん、内藤さんも3日後の25日に合流しました。松山監督が「フランス映画の『シェルブールの雨傘』(1964年、ジャック・ドゥミ監督)のような映画を狙った」と言われた通り、上映1時間半のうち50分が音楽という作品になっています。ちなみに、「シェルブールの雨傘」はカトリーヌ・ドヌーブ主演、ミシェル・ルグランが音楽を担当したミュージカル映画で、第17回カンヌ映画祭でグランプリを受賞しています。

 

 

 「その人は昔」の映画版では、舟木さんのアルバムにはなかった6曲が新たに加えられました。そのうち2曲を舟木さん、2曲を内藤さんが歌い、残りの2曲を2人でデュエットするということになりました。いずれも作詞・松山善三、作曲・船村徹。のちにシングル化される「心こめて愛する人へ/じっとしてると恋しい」(1967年7月、舟木)、「白馬のルンナ/雨の日には」(同年7月、内藤)、「恋のホロッポ/今度の日曜日」(1983年5月、デュエット)がそれです。

 

 

 内藤さんにとって“歌手”は初めての挑戦です。決して上手いとは言えませんが、何とも言えない深い味わいがあります。私は内藤さんの歌について、船村さんに直接伺ったことがあります。船村さんは以下のようにおっしゃいました。内藤さんのファンにとっても、いかにも船村さんらしい貴重な“証言”だと思いますので、そのまま掲載します。

 

 「彼女はこの映画で初めて『白馬のルンナ』などの歌を歌ってくれました。お互いの自宅が湘南で、彼女は鎌倉に住んでいましたので、私が自宅(藤沢)にいる時は寄りなさいと言ってレッスンしました。何回やりましたでしょうかね。彼女のお父さんがお医者さんでしたので、あなたは私の患者として言うことを聞きなさいと言ってやりました。まぁそうは言っても、彼女は音を伸ばすと音程が狂っちゃうんで、思い切ってブツ切りのような歌にしたんですね。そうしたところ、これが成功したんです」

 

 

 船村さんが「成功」という言葉を使われたように、「白馬のルンナ」は船村さんが狙った通りの個性的な歌い方も魅力になって、50万枚を超す大ヒット曲になりました。内藤さんが芸能界引退直後の1971年にアルバム「洋子」もリリースされていますが、「恋のホロッポ/今度の日曜日」だけが映画公開から16年もたった1983年にシングル化されているのは何故でしょうか。

 

 

 調べてみますと、1983年はコロムビアが「青春グラフィティ」シリーズと銘打って廃盤レコードを復刻発売していた時期に合致します。廃盤復刻という趣旨には合いませんが、“特例”としてシングル化から漏れていた舟木&内藤のデュエット曲「恋のホロッポ/今度の日曜日」を初めてリリースしたことが想像されます。詳しい経緯は分かりませんが…。

 

 ともあれ、内藤さんは1967年7月に公開した「その人は昔」の大ヒットを受けて、5か月後の12月には、名人になることを夢見て洋菓子店に勤める舟木さんと、同郷の富豪の娘の女子大生役で「君に幸福を センチメンタル・ボーイ」(丸山誠治監督)を撮っています。脚本は引き続き松山善三さんで、身分違いの2人の恋の顛末を描いた青春映画という感じです。舟木&内藤は記憶に残るコンビだったのではないでしょうか。

 

 内藤さんはその後、加山雄三さん、酒井和歌子さんとともに出演した「兄貴の恋人」(1968年、森谷司郎監督)、「華麗なる闘い」(1969年、浅野正雄監督)、「地獄変」(同、豊田四郎監督)、「娘ざかり」(同、松森健監督)などに出演しましたが、この頃からもう一人の東宝の看板女優・酒井和歌子さんの方が注目されるようになっていました。内藤さんは主演作も含めて計22本の映画に出演したことになります。

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兄貴の恋人

 

 そして20歳になった1970年、グループサウンズ「ザ・ランチャーズ」のボーカルをしていたギタリストでもある慶応大学生の喜多嶋修さんと結婚して芸能界を引退します。結局、内藤さんが女優&歌手をしていたのはわずか5年間でしたが、それ以上の存在感はあったように思います。2年後に長女・舞さんが誕生。1974年には、家族そろってアメリカ・カリフォルニア州に移住。現地で長男、二女にも恵まれます。

 

 長女の舞さんも1986年、コンパクトカメラのCMで芸能界デビュー、1988年には父親のプロデュースで歌手デビューもしました。1996年に元光ENJIの大沢樹生さんと結婚して長男が誕生しましたが、2005年に離婚。2年後に再婚し女児を出産しています。この後、長男の親権をめぐって二転三転する騒動になりました。結局、内藤さんが引き取って育てることになり、騒動が治まりました。母親としてのケジメなのか。

 

 

 内藤さんはその後、グラフィックデザイン、コスチュームデザインなどの活動をされていたようですが、現在はロサンゼルスを拠点に絵本作家として活躍され、本名・喜多嶋洋子さんの名前で「天使の羽音-山鳩からの贈り物-」(2004年2月、文藝春秋)や「おひさまにだっこ」(2005年7月、フレーヘル館)、「ホーじいさんとヤムの桃」(2007年10月、白泉社)などの絵本や童話を出版しています。

 

 なかでも「天使の羽音-山鳩からの贈り物」は、ロサンゼルス郊外の美しい丘に住む一家と、親のいない山鳩の兄妹の触れ合いを通して、親子の愛や家族の愛を綴ったもので、 内藤(喜多嶋)洋子さんの優しさ、温かさが伝わってくる作品になっています。

 

天使の羽音 山鳩からの贈り物

 

おひさまにだっこ

 

ホーじいさんとヤムの桃