舟木一夫後援会も発足60周年

 

 舟木一夫さんの芸能生活60周年に続いて、2023年は「舟木一夫後援会」の発足60周年の記念の年になります。舟木さんはコンサートのトークでもしばしば「浮舟の旅 60年おめでとう」と発信されると思います。私からも後援会事務局の皆さまに、新年のご挨拶とともに「60周年おめでとうございます」と申し上げます。

 

― 蠟梅(ロウバイ)花言葉 「ゆかしさ」「慈しみ」「先導」「先見」―

 

 振り返ってみますと、舟木さんの後援会はまず、故郷・愛知県一宮市で産声を上げます。伊藤一・一宮市長が地元紙「一宮タイムス」(高橋猛社長)を通じて市民に働きかけます。同紙も紙面で舟木さんを積極的に応援しています。同紙によりますと、後援会は舟木さんが1963年6月5日にデビューした2か月後の8月29日、市役所で市長、市議会議長らが集まって規約を決めて正式に発足しました。

 

左から2人目が一宮タイムスの高橋猛社長(当時)=孫の高橋一さん提供

 

 弱冠18歳の少年の歌手デビュー直後に後援会発足というのは極めて異例だと思いますが、それだけ「高校三年生」の“出足”が速かったということだと思います。10月27日に一宮体育館で発会式と記念演奏会が計3回行われました。演奏会には舟木さん、守屋浩、高石かつ枝ら歌手のほか、作曲家・遠藤実も特別指揮者として参加し、合わせて1万7000人の観客で大盛況でした。

 

 翌1964年は東京オリンピックの年。前年6月5日以降にシングル5枚、アルバム1枚をリリースした舟木さんは、この年も1月から「叱られたんだね/初恋の駅」「あゝ青春の胸の血は/夕月の乙女」をリリースし、年間で15枚のシングルとアルバム2枚を出していますが、新譜が届いてからレコーディングまで1週間程度という忙しさ。いずれも大ヒットし、後援会員の伸びも凄まじいものがありました。

 

 会員の急増で後援会組織は愛知県だけでは対応出来なくなりました。地元の直木賞作家で演劇評論家・安藤鶴夫らが音頭を取り、長谷川木材社長・長谷川鏡次がまとめ上げ、組織を全国規模に広げることになり、2月6日には東京・帝国ホテルで「舟木一夫後援会」の発足&祝賀パーティーが開かれました。舟木さんも超多忙の合間を縫って出席しました。

 

 パーティーには政界から藤山愛一郎、中曽根康弘、石田博英ら、財界から帝国ホテル会長の犬山一郎、サントリー社長の佐治敬三ら、芸能界からは長谷川一夫、山田五十鈴、森繁久彌らが名を連ね、一宮出身の元防衛庁長官・江崎真澄が会長に就任しています。今では考えられない顔ぶれです。8日には日比谷公会堂で後援会発足記念の舟木一夫ショーも開かれています。

 

 

 そして、この年8月15日、後援会の月刊会報誌「浮舟(うきふね)」の創刊号が発刊されました。B5判の創刊号には、江崎真澄、長谷川一夫、山田五十鈴ら政財界、芸能界の重鎮がお祝いの言葉を寄せ、舟木さんも映画「夢のハワイで盆踊り」のロケ紀行文を載せています。上の写真のように、なかなか丁寧で重厚感さえある作りになっています。若いとはいえ、舟木さんの人徳であり、“大物”になる可能性を秘めたスタートになりました。

 

 

 ともあれ、この8月が“「浮舟」の旅”のスタートと言っていいんじゃないでしょうか。一時、「浮舟」と「浮舟ニュース」(上の写真)を交互に発行した後、第100号からタブロイド判4ページの「浮舟」に変わり、500号からはさらにカラー印刷にグレードアップしています。2022年12月号で669回です。舟木さんは毎号、扉のページに寄稿され続けています。

 

 「浮舟」は藤谷和子さんを抜きに語れません。藤谷さんは1961年に夫を交通事故で亡くし途方に暮れていた時、「高校三年生」に出合って一生懸命生きなければと励まされたと言います。会員が減少して毎月発行出来ない時期もありましたが、今に続いているのは藤谷さんのお陰です。藤谷さんは生前、「舟木さんに毎回書いていただいていますが、それが凄いことだと思いますね」と語っておられました。

 

 さて、後援会としてはどんな“60周年祝賀イベント”をされるのでしょうか。楽しみですね。