舟木一夫と「湖愁」

 舟木一夫さんが60周年の今年、記念曲“を出さないことは早くから関係者の皆さんに聞いていましたが、「湖愁」を新たにレコーディングして12月7日にシングルで出されると聞いて、えっとちょっと驚きました。サイドⅡは「浮世まかせ」(60周年ライブバージョン)。舟木さんはその理由を後援会誌「浮舟」(10月号)で以下のように書かれています。これはなかなか説得力のある内容でした。

 

 「湖愁」―上田成幸クンにとって忘れること、切り離すことが、決して出来ない同い年の先輩、松島アキラさんのヒット曲だ。(中略) 成ちゃんを「高校三年生」の舟木選手へと導いてくれた、まさにかけがえのない一曲である。「湖愁」の中には十七才の思いっきり眼を輝かせた成ちゃんがいる、「流行歌手志望」一直線の少年がいる。たったそれだけの理由で「湖愁」を唄い、サイドⅡには七十七才の#Gさんに御登場願った。 

 

 いかにも舟木さんらしい。23日深夜にTBSラジオなどで放送された番組(こちらで1週間番組を聞くことが出来ます)では、10月1日にレコーディングして出来立てほやほやの「湖愁」を聴くことが出来ました。舟木さんの想いが籠っている!!  ちなみにサイドⅡに「浮世まかせ」を選んだのにも意味があると思います。この曲は舟木さん自身が作られた40周年の“記念曲”ですが、舟木さんは常々「この歌は発表するのが早すぎた」とおっしゃっていました。詞の内容などから、60周年にこそぴったりだと考えられたんじゃないでしょうか。

 

 「湖愁」(作詞・宮川哲夫、作曲・渡久地政信)は、申すまでもなく1961年9月5日にビクターレコードから発売された松島さんのデビュー曲です。松島さんは翌年には、日劇ウエスタン・カーニバル、浅草国際劇場、ハワイやロサンゼルスでのワンマンショーなどに出演し、第13回NHK紅白歌合戦にも出場しています。もっとも、歌ったのは「あゝ青春に花よ咲け」ですが。また、「湖愁」の大ヒットで同名で映画化(松竹、1962年3月11日公開)もされました。

 

ー 松島アキラ『装苑』1962年 Wikipediaより ―

 

 松島さんは1944年7月5日生まれですから、舟木さん(1944年12月12日)とは同い年ですが、歌手としては松島さんが2年先輩になります。舟木さんは松島さんがデビューした時は学校法人愛知学院愛知高校の1年生で、NHK名古屋放送局の常任指揮者・山田昌宏氏からクラシックの基礎を学び、歌唱レッスンを受けている最中でした。ただ、「湖愁」が大ヒットしていたことと、好きなタイプの歌だったことから、自身の中にかなり強烈にインプットされていたんだと思います。

 

 私の知っている限り、舟木さんが初めて公で「湖愁」を歌ったのは高校2生の3学期、地元のテレビ局・CBC(中部日本放送)の人気のど自慢番組「歌のチャンピオン」の“チャンピオン大会”でのことです。学校をズル休みして出場していたため、後で父親や高校担当教諭に厳しく叱られています。ただ、予選をクリアして「湖愁」を歌ってチャンピオンになったため、地元では“歌の上手い高校生”という噂が一気に広がっていたと思われます。

 

 その次が、10月23日のラジオでも話していたジャズ喫茶。1962年3月、同級生からガールフレンドと初めてのデートの約束をしていたが、彼女に部活の予定が入って行けなくなった。「おい上田、切符が余ったから一緒に行かないか」となり、名古屋のジャズ喫茶「ジャズコーナー」で行われた松島アキラショーを観ることになりました。ショーが終わり、司会者が「最後に松島さんと一緒に『湖愁』を歌いたい人はいますか」。左隣の同級生が上田少年の左手首を掴んで「歌いまーす」―。

 

 上田少年の歌を聴いた週刊明星の記者が、上田少年から紙に住所、氏名、電話番号を書いてもらい、帰京後、ホリブロの堀威夫に伝えたところから、歌手へのレールが敷かれることになりました。舟木さんは、この間の出来事は“偶然”と“運”でしか語れないと常々話していますが、まさにその通りだと思いますね。それでトントン拍子で「高校三年生」にたどり着くことになります。舟木さんは自分には“下積み”がないということも語られますが、もっと辛い“どん底”を味わうことになります。

 

 ところで、私は50周年の時に「青春賛歌」を書く際、松島アキラさんにインタビューさせていただきました。松島さんから指定された場所は開店前の下町の居酒屋さんでした。もともと舟木さんのファンの皆さんがよく集まる店ということでしたが、松島さんは「『湖愁』のお陰で僕も舟木さんのファンの皆さんに大切にしてもらっているんですよ」とおっしゃっていました。舟木さんのお客さん、ファンの方は本当に暖かいと思いましたね。

 

 インタビューの際、ジャズ喫茶での出来事を覚えておられますか? と伺ったところ、松島さんからは次のような回答がありました。

 

 「はっきり覚えています。実は、ショーが始まる前に、興行師さんから『湖愁』を上手く歌う少年が来ているから、ぜひ聴いてやってほしいと言われたので、いいですよ、と。そんな会話があったんですよ」

 

 同級生が上田少年の手を挙げなくても、司会者が上田少年を壇上に上げて歌わせるという“打ち合わせ”が出来ていたんですね。