小学生の上田君

 舟木一夫が還暦を迎えた年、母校である愛知県一宮市立萩原小学校で「わが校出身の歌手 舟木一夫」という記念誌がまとめられた。私は「舟木一夫の青春賛歌」を書く際、この冊子を編集した関係者に内容を公にすることを条件にコピーさせてもらった。舟木の幼少時代=上田成幸少年を知る上で貴重な資料(冊子では全て実名)になっているので、差しさわりのない部分をご紹介したい。

 

― 一宮市立萩原小学校 ―

 

 編集者はこの冊子で何人かの担任教諭にインタビューしている。1年生の担任だったOさん(女性)は「上田君がいたずらしたり、やんちゃしたりした時に叱ると、さっと机の下にもぐってしまうこともありました。6年生だったと思いますが、学芸会の練習だったか定かではありませんが、『スキー』の歌を独唱していました」と話す。卒業式の後に校長が保護者との懇親会を開いた際、「ほとんど学校に顔を出したことのない上田君のお父さんも和服を着て会に参加しておられました」。O教諭が保護者に話をしている間、上田少年の父は正面で背を伸ばして正座して聞いていたという。

 

 また、6年生の担任だったUさんは「おばあちゃんに買ってもらったハーモニカをよく吹いていた。コーラス隊をバックに『スキー』の歌を上田君が独唱していた」と話した。Oさんも話していたので、「スキー」の独唱はよほどインパクトが強かったようだ。そして「当時はソフトボールが盛んで野球をよくやっていたが、上田君はあまり得意ではなく見ていた方だったと思う」とも。当時は家庭訪問がなかったため、U教諭は母親が9人も変わったことなど家庭の事情はほとんど知らなかったが、母親が小田巻を売っていて、学校からの帰り道に買った記憶が残っている。

 

 6年生の時の文集に載っていた上田少年の「赤いシャツ―四年生の思い出」という作文も記念誌に転載されている。ここに元の原稿のまま再転載する。

 

 

赤いシャツ―四年生の思い出     

           六年A組 上田 成幸

 

  四年生の一学期の初めごろ、ぼくは新しいセーターを作ってもらった。

  とてもきれいだったので、喜んで学校へ着て行ったところ、皆が、

 「わぁ、上田が赤いシャツを着てきた。」

 といったので、不思議に思い、なにげなくセーターを見ると、黒い太い線に

 細かいかき色の線がはいっていた。

  ああ、それで皆が「赤いシャツ。」といったんだなと気がついた。

  そして、そのあくる日も、又、次の日も、皆に

 「赤シャツ。赤シャツ。」

 と、いわれながら学校へかよった。

  あまりその事ばかり言われるので、けんかした事もある。

  七月に入って、セーターは、着なくなったので、だれも、ぼくのセーター

 のことは、言わなくなった。

  十月の半ば頃、また「赤シャツ」といわれたセーターを着なければならな

 くなった。

  どうも気がひけてならなかったが、それを着るよりしかたがなかった。

  でも、二学期の終りから、三学期にかけて、ぼくは、セーターのことなど、

 いわないで、だれかがいうと、かばってくれる友達も出来てきた。

  そんな、友達には、頭が上がらなかった。

  けれども、五年に近づくほど、「赤シャツ」なんていう人は、少なくなって

 いた。

  皆、年をとったので、りこうになったんだなと思った。

 

 

                  ◇

 

 そのまま掲載したが、6年生にしては実に味わい深い文章だ。とりわけ最後の1行は上田少年独特の発想と言えるのではないか。また、詩については、以前に紹介したが、俳句と合わせて読んでもらうとウーンと唸らせてくれる。詩、俳句とも元のまま再掲載する。

 

 

    詩  花びん

              

               上田 成幸

          

 ある日 母が花びんを買ってきた

 

 直径十糎ほとだ

 

 一りんざしにいいなと父がいう

 

 でも、ちょっと大きいな

 

 こんどは、、ぼくが口を出す

 

 これ わたしのよ と、姉がいう

 

 いや、ぼくのだよと

 

 水がはいっているのも、知らずに

 

 とりあいをした

 

 水があかって、

 

 今度は、二人仲よくしかられた

 

 にくらしい花びん

 

 

         俳句

   すぐ卒業 らくがきいっぱい 黒板

 

 

                  ◇

 

 舟木さんは家庭の事情で小学校を計4回行ったり来たりしています。萩原小に延べ何年在籍していたのかは定かではありません。そんな中で書いた作文、作った詩、俳句を読むと、決していい環境とは言えない中で、よくこんなに素直というか純粋な気持ちで書け、また作られたと思います。舟木さんが“寒い時代”に作詞・作曲された作品をみる時、逆境の中で作られたものには幼少時代と同じように“純な力”があるような気がします。舟木さんにはもうその気はないかもしれませんが、私としては作詞&作曲・上田成幸の作品をまた聴いてみたいと思っています。

 

                  ◇

 

 「祝・芸能生活60周年 舟木一夫さん展示会」が、地元の舟木ファン有志の皆さんによって開かれます。場所は舟木さんの故郷・愛知県一宮市真清田(ますみだ)にある真清田神社楼門内の一室です。入場無料。開催は9月17(土)から10月2日(日)。午前10時から午後3時半まで。ただし、御園座でコンサートが行われる予定の22日と23日は午前9時から午後5時までになります。

 

 私も以前、舟木さんの取材のためにこの神社を訪ねたことがあります。境内の奥にある服織(はとり)神社に舟木さんが1965(昭和40)年に寄贈された鈴と鈴緒があるというのでお邪魔したのを覚えています。下のチラシの左の写真がそれです。時間があれば展示会を覗いてみたいとも思っています。

 


― 桔梗(紫)の花言葉 「永遠の愛」「変わらぬ愛」「気品」「誠実」 ―