新橋演舞場③

 東京・新橋演舞場で1999(平成11)年8月に行った「忠臣蔵異聞 薄桜記」の公演に関して、私が行った舟木一夫のインタビューから再現してみたい。当時の舟木の新橋演舞場への思い、娯楽時代劇に懸ける熱意などが伝わってくる。

 

 

 ―林与一さんとは随分古いお付き合いになります

 大河ドラマ「赤穂浪士」以来。テアトロ<海>の「薄桜記」(上がチラシ)にゲスト出演した時にも見に来てくれて「またやってくれ」って言うんです。「与一ちゃんがやればいいじゃない」と乱暴な口をきいてたら、「典膳は舟木ちゃんでなきゃ」って。それは“寒い時代”の僕に対する彼一流の激励でもあったと思うんです。今回やるって決まった時は、与一ちゃんから電話をかけてきて、「安兵衛を他の役者にやらしたら承知しないぞ」って。

 

― 忠臣蔵:堀部弥兵衛と堀部安兵衛 歌川国貞作 Wikipediaより―

 

 ―光本幸子さんは初演とおなじ千春役です

 幸ちゃんも、この芝居は青春時代に点として残っていると思うんですね。幸ちゃんは芸能界での幼馴染という感じがあるんですよ。どこまで行ってもかなう人じゃあないですけど、お互い芝居の間尺を知っている良さっていうんですかね、幸ちゃんの癖はよく知っているし、俺の癖も幸ちゃんは知っているっていうのがある。お互いのリズムの隙間を埋めていけるっていうのかな。それを意識しないでできる相手なんです。

 

 

 ―新橋演舞場も3年目。過去2年は記録的な大入りでした

 2年前に新橋演舞場のゲネプロで舞台に立った時に、全体の空間というものが舟木一夫にあっていると感じた。空気ですよ。ここに立っている舟木一夫はお客さんから一番いい寸法で見えるはずだと思った。初日開けてみたらやっぱりそう。その予感を10日目で実感した。その時、ふ~っと空気が入ったところに、去年の「おやじの背中」で別の色の空気が入って膨らんだ。今年はこの芝居の空気が入る。この舞台を納得してもらったら、今度はプロとして大きく膨らんだ風船を、どこで針でつくかっていうのが出てくる。そういうことがお客さんとの呼吸でびしっと決まるといいんです。空気っていうのは、半分はお客さんが入れていますからね。

 

 ―今後についてのお考えは

 どんな作品でキャラクターがいかにぴったりこようとも、僕は娯楽時代劇をやりますよ。お客さんの自発的なパワーを見ていると、どうも舟木一夫を現状のまんまで置いておく気はないらしい。「何かせい」と言っている。それは何かと考えたら、スライムでいろ、固形物になるなっていうことだと思う。歌い手だとか役者だとかジャンルわけに拘らないというのがお客さんの中に出来てきていると思うんですよ。まだ通過点だというなら、もうひと化けぐらいするんだろう。するんだったら手を貸すぞっていう空気が伝わってくるんです。お客さんとの「あうん」の呼吸がうまくいっている。それが今の舟木一夫の要因ですね。

 

 

 演出家・榎本滋民は、「忠臣蔵異聞 薄桜記」の舟木の初演の舞台を作り、1992年12月9日に亡くなった土橋成男に対する追善と、土橋作品に取り組みなおす舟木への声援の意味も込めて、この舞台を演出した。榎本は舟木の稽古を見て、メモ書きを渡した。それには「君は憂いを含んだ人物を演じる時に、感情が先立つあまり憂いが勝って声が籠ることがある。それを直せば一段と良くなる」と書かれていた。具体的に聞き直すと、「お客さんが主役から聴きたいのは“判官の声(若き二枚目の声)”なんだよ」という。それ以来、舟木の時代劇の声の調子が変わり、公演もよりスムーズに運ぶようになったという。

 

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 このインタビューは今から23年前です。舟木さんは54歳の時です。長々と再現したのは、舟木さんが新橋演舞場で娯楽時代劇を演(や)っていくんだという意気が感じられるからです。47歳で復活してから50代にかけて“寒い時代”の10数年の穴を一気に埋めていくのですが、その原点になったインタビューだと思いますね。 

 

 

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