新橋演舞場

 

 舟木一夫は1997(平成9)年8月、東京・東銀座の新橋演舞場で初座長公演を行った。実現させたと言った方が正しいかもしれない。舟木にとって、新橋演舞場は特別な思い入れのある、念願の舞台だった。新橋演舞場での“初演”から最新作まで、何回かにわたってパンフレットなどに残された記録から舟木の足跡を追ってみたい。何回になるか分からないが、間に演舞場以外の舟木の行動を挟むなど、退屈にならないように工夫して書き綴ってみたい。しばらく我慢して読んでいただければと思う。

 

 

 舟木は“初演”のパンフレットに「二十代前半から半ばにかけて、故・川口松太郎、先代・水谷八重子両先生から度々、『新派に来い。君は新派の姿をしている。歌い手をやめて新派に来い』と、有難いお誘いを受けた頃から『新橋演舞場』は、いつのまにかボクにとって、特別な思い入れのある所になっていました。(中略)なんだか、川口、水谷両先生の、お導きの様な気がしてなりません。それも雨情で。まさにある意味で新派の薫りがあふれるような演目と云っていいと思います」と記している。

 

             <舟木一夫と新橋演舞場>

 

 初座長公演は8月4日から28日まで芸能生活35周年記念と銘打ち、「野口雨情ものがたり」と「ヒット・パレード」の昼夜2部構成だった。芝居には三浦布美子、元宝塚のトップ娘役のこだま愛、井上英衣子、いとうまい子中丸忠雄横内正青山良彦笹野高史らが名を連ね、「ヒット・パレード」は玉置宏が司会、松本文男とチャーリー脇野が交代で指揮棒を振った。終演後の握手会、舟木との写真撮影など曜日別の趣向も凝らし、連日超満員の大盛況だった。ある日の客席には、作家・林真理子の姿もあった。下は「野口雨情ものがたり」の台本。

 

 

 パンフレットにはシンガーソングライター・小椋佳も寄稿している。「野口雨情ものがたり」の主題歌を創るにあたって、台本を読み舟木ともゆっくり話をした。舟木との会話の印象がよほど深く残ったためか、出来上がったものは雨情の人生を投影しつつも、むしろ舟木一夫という人物を写し取った歌になってしまったという。タイトルは「風好きに吹け―迷夢本望―」。だから、半分は舟木自身の作詞作曲とでもいうべきもので、作品が仕上がった時に舟木が喜んでくれたことが何よりの救いだったと記している。

 

 

 私も観に行ったが、ロビーは中年の女性客で溢れかえっていた。異様な活気があった。舟木だけでなく、ファンもこの日を待ち望んでいた。今は“日常風景”になっているが、女性用トイレの前に行列が出来ていたのに驚いたものだ。当時は男性客の姿はまだ数えるほどだった。新聞に書くために何人かにインタビューした。舟木がデビューした時、中学3年生だった女性は「やっと子供たちが私の手を離れましたので、時間とお金の許す限り飛び回っています。今、ブランクを一生懸命埋めようとしているんです」と話してくれた。

 

 

 第2部の「ヒット・パレード」の司会は玉置宏だった。その中で舟木が「学園広場」を歌いながら客席にマイクを向けるシーンがあった。申し合わせたかのように、女性客の大合唱が始まった。私も思わず涙ぐんだことを覚えている。そして、「クラス仲間はいつまでも」「若い僕らの修学旅行」「夢を抱いてた仲間たち」と畳みかけられると、もう完璧に“あの時代”にタイムスリップしてしまった。別の女性は「舟木さんも頑張っているんだと思うだけで毎日に張りができ、明日も頑張ろうって気になれるんです」―。

 

 

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 この頃、舟木さんに伺ったことがあります。「高校三年生」というたった3分2秒の歌が一人の男の一生を決めてしまった。あれから35年がたって、再び同世代のお客さまに向き合ったら、「高校三年生」はもはや舟木一夫の歌ではなく、同世代のみんなの歌になっていた。そして、「これからはナンバーワンの歌手ではなく、オンリーワンの歌手として同世代のお客さまとともに旅を続けて行こうと決めました」と語っていました。25年前です。懐かしいですね。

 

 

音譜 音譜 音譜

 

 

 

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