御三家と紅白歌合戦

 橋幸夫が初めてNHK紅白歌合戦に出場したのは1960(昭和35)年の第11回だった。同年7月5日に「潮来笠」でデビューし、年末の日本レコード大賞では新人賞を受賞している。舟木一夫が橋に続いたのは3年後の第14回で、デビュー曲「高校三年生」を学生服姿で歌った。舟木もレコード大賞の新人賞を受賞して紅白に臨んだ。西郷輝彦は翌年の第15回。西郷も新人賞を受賞したが、紅白は60万枚以上売り上げたデビュー曲の「君だけを」ではなく「十七歳のこの胸に」での出場だった。

 

 舟木と同じ年に「美しい十代」でデビューした三田明に聞いた話によると、あるとき司会の玉置宏が「ロッテ歌のアルバム」(TBS系)の田中敦ディレクターと一緒に舟木、西郷、三田の3人で「御三家」を作ろうという話になり、日本コロムビア、日本クラウン、日本ビクターに打診した。しかし、ビクターから「そういう話なら橋幸夫でやりたい」という提案が出され、橋、舟木、西郷による「御三家」が誕生。三田を加えた「四天王」もこの時に生まれたのだという。

 

― 30:23頃から御三家の歌う姿が映ります ―

 

 もっとも、当時の3人は超多忙で文字通り休む暇がなく、ライバル心も激しかったため、会ってゆっくり話すということは皆無だった。橋と舟木の初顔合わせは「月刊平凡」の1964年新年号の希望対談。当時、橋が大映京都で撮影中だったため、大阪で仕事を終えた舟木が京都まで車を飛ばして合流した。2人は気が合って対談は夜が更けるまで続いたという。舟木の記憶では、3人が初めて顔を揃えたのは舟木がデビューして3年目の1965年12月。やはり雑誌の鼎談だった。

 

              <御三家と紅白歌合戦>

 

 西郷が初出場した第15回紅白歌合戦以降、「御三家」としては第22回まで計8回(=8年連続)同じステージに立っている。最初に紅白を落選したのは舟木。その年の12月に大阪・新歌舞伎座で「芸能生活10周年記念特別公演」で座長を務めていたが、前年の紅白で最後のヒット曲=「初恋」を歌い切ったことと、“若気の至り”の行為があったのが致命的だった。気力、体力ともに減退しつつあった舟木は「最初に落選するのは僕だと分かっていた」と述べている。当時の舟木の率直な気持ちだったのだろう。

 

 続いて落ちたのが10年連続で出場していた西郷。第25回の出演者発表で名前を呼ばれなかった。前年に紅白では2度目になる「星のフラメンコ」を歌っている。舟木と同じように新しいヒット曲が出なくなっていたのだ。橋は「いつでも夢を」を4回、「潮来笠」を2回歌っているが、第11回以来の連続出演は15年になっていた。レコード会社の力関係にもよるのだろう。西郷の落選について、舟木には自分の時と同様に「格別の思いはなかった」という。

 

 その橋が落選するのが1977年の第28回。舟木はある朝、寝ぼけ眼でスポーツ紙を広げたら1面に「紅白出場歌手決定」の記事と表が載っていた。一覧表を見て「橋さんの名前がない!?」。舟木の目から涙が溢れてきた。新聞を床にたたきつけベッドの上でひとり号泣した。橋が落選することで御三家が共有してきた“ひと塊の青春”が一瞬にして消え去っていくことへの悔しさ、御三家の歌を口ずさみ一緒に歩んできてくれた同世代のお客さまにも申し訳が立たない。そんな思いが涙になって止まらなかったのだ。

 

 橋は1990年の第41回と1998年の第49回に返り咲き、「いつでも夢を」を歌っている。第49回は6月10日に亡くなった作曲家・吉田正の追悼を兼ねていた。西郷の復帰はないが、舟木の復活については1992年12月4日付スポーツ各紙が「21年ぶりに『高校三年生』」と大きく報じた(下の新聞は日刊スポーツ)。舟木は東京・新宿コマ劇場で公演中で、「30周年の区切りの年の朗報に感謝します」と約2300人のお客さんに挨拶すると大歓声が沸き起こった。NHK「思い出のメロディー」のアンケートで「高校三年生」が2年連続で第1位に輝いたのが大きかった。

 

 

 舟木が21年ぶりに復活した第43回紅白歌合戦を母親と一緒にテレビで見ていた西郷は、10番目に舟木が出て「高校三年生」を歌い始めた。「嬉しくて嬉しくてポロポロ涙を流していたら、横にいたお袋が『あんたもちゃんとやらないとダメだよ!』って怒るんですよ」と話してくれた。西郷は押しも押されもしない役者・西郷に“転身”していたが、母親は歌手・西郷の姿をもう一度見たかったのだろう。西郷はそれが転機の曲「別れの条件」を出すきっかけにもなったという。

 

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 夕刊フジ「ぴいぷる」欄の取材で西郷さんにインタビューしたのは9年前でした。その際、西郷さんは歌手活動の再開にあたっては、自分が納得できるまで計7人のボイストレーナーに声帯のチェックをしてもらったとおっしゃっていました。やるなら徹底的に!という西郷さんらしい再挑戦の幕開けでした。その後、2001年に御三家揃って「G3Kメモリアルコンサート」と銘打って全国130か所でコンサートを展開しました。緞帳が上がって3人で出ると客席から「グワーッ」という歓声が起き、「すげぇな。昔はこれだったな」と思わず3人が顔を見合わせたんですと実に楽しそうに話していました。いかに御三家がすごかったかを再認識させられたコンサートだったとも語っていました。ゆっくりお話ししたのは初めてでしたが、明朗闊達なお人柄そのままの方でした。近くで見ていて、御三家の中では舟木さんと西郷さんが一番親しくされていたのではないでしょうか。下は私が夕刊フジの「ぴいぷる」欄で舟木さんと西郷さんにインタビューした際の新聞です。

 

 

 

 

音譜 音譜 音譜

 

 

 

 舟木一夫さんの写真集「60th/77age」(5000円)が好評発売中です。舟木さんによると、昨年12月12日の77歳の誕生日から今年2、3月にかけて撮り下ろした“Gさんの写真集”ということです。

 各コンサート会場で販売されるほか、通信販売も行われています。問い合わせはスクーデリア・ユークリッド通販部☎03-3447-3521(平日11時~18時)です。

 西郷さんは今年2月20日午前、前立腺がんのため都内の病院で亡くなりました。75歳でした。