A Night in Tunisia( チニジアの夜 )
Art Blakey & The Jazz Messengers
危険な関係のブルース
アートブレーキ&ジャズメッセンジャ―ズ
( 會津道中細見図 )
会津と今市市を結ぶ重要な街道
会津西街道 ( 下野街道 )
会津西街道・下野街道~(国道121号線)~米沢街道
参勤交代の大名行列も
この街道を通った
会津西街道
会津から国道121号線を進み
湯野上温泉から右折
県道329号線を進んで行くと
大内宿へ
会津西街道
は
会津と今市市を結ぶ重要な街道でした
( 県道329号線と並行して流れる渓流 )
明治17年
国道121号線が開通すると
会津西街道・大内宿
は
その道筋から遠く離れてしまいました
( 見晴台から眺めた大内宿 )
ここからの眺めがお勧めポイントです
重要伝統的建造物群保存地区
最初の宿泊宿が大内宿
山間にひっそりとたたずむ村『 大内宿 』
江時時代の宿場を今に残す
全国でも数少ない集落です
江戸時代の宿駅制度の中での
面影をよく残し
歴史的遺産としての価値が認められ
昭和56年4月
宿場町としては
中山道の妻籠宿・奈良井宿についで
3番目に
国の指定を受けました
現在も結いと呼ぶ相互扶助により
集落を守っています
👆通常の玄関 👆お殿様用の玄関
復元された大内宿本陣
茅葺屋根の本陣の建物
は
江戸時代の部屋があり
生活用具1,300点あまりの展示があります
復元する際
図面などの記録が見つかってない為
会津西街道の川島本陣・糸沢本陣を参考に
再建されました
1590年に豊臣秀吉が奥羽仕置きで
会津平定の帰りに通ったと云われていますから
それ以前には
街道は出来て居たと思われます
会津藩主『 保科正之公 』によって
1640年代の参勤交代や年貢米などを運搬する為
に
会津城下から下野国(栃木県)の今市宿までの32里(128km)
会津西街道(下野街道・日光街道)として整備されました
この間に14宿場を設け
大内宿はその一つの宿場です
大内宿
は
若松の御城から5里程度で
早朝に城を出た大名行列
の
昼食休憩の宿場でした
大内宿の各家庭には屋号があり
現在も
屋号で呼び合う習慣が受け継がれています
( 高遠そばの三澤屋 )
ここのネギ蕎麦
は
箸ではなく
箸の代わりにネギで
蕎麦を食べるんですよ
食べながらネギをかじって
箸と薬味を兼ねてます
ネギはかじると少し辛いです
新そばの時期
は
11月から
美味しいそばが味わえます
( ネギ蕎麦と鮎の塩焼き )
ここで食事するのが楽しみの一つです
( 大内宿 )