・・・①より続く。
続いてやってきたのは知覧町。
『豊玉姫神社』
個人的に鹿児島県内で一番訪れたかった神社
コロナでなかなか来れませんでしたがようやく参拝出来ました。
御本殿は鳥居から見て正面ではなく右後方にあります。
以前は正面にあったそうですが建て替えられたため現在の位置に。
水からくりやかた。
水車を回して動くからくり人形のようです。
現在コロナ禍で休止中でした。
旧社格:県社
御祭神:豊玉姫命、彦火々出見命、豊玉彦命、玉依姫命
手書きの御朱印を頂きました。
独特の書体ですねぇ・・・
御朱印帳も欲しかったのですがあまり増えすぎても・・・と思い断念。
神社を出て県道23号線で3kmほど離れた豊玉姫稜へ。
特に駐車場はありません。
田んぼの真ん中にポツンとありました。
以前はこの一帯は林だったそうですが、開墾されて田んぼに。
しかしこの場所だけは絶対に鍬を入れてはならないと
そのままにされているそうです。
この後は指宿市の方へと戻りますが、この日のメインへと向かいます。
やってきたのは頴娃町雪丸地区。
場所がわかりにくいのでこのバス停を目印に先へ進みます。
すると看板が見えてきます。
そう、なんと『真田幸村公』のお墓と云われる場所があるんです。
☆グーグルマップに掲載あり。
前の写真の『雪丸』の地名。
南国鹿児島で雪とは無縁ですが、『幸村』が訛って『雪丸』・・・とも云われてます。
細い舗装林道をしばらく走ると駐車場があります。
車でも何とか走れますが、対向車が来ないことを祈りながら走ってくださいネ
あくまで私有地なので粗相のないようにしましょう
駐車場からの眺めもイイですね。
初め見たときに何だと思ったのですが『六文銭』だったようです。
ここからは歩きになります。
入口には杖が用意されてます。
行きはイイのですが、帰りは滑りやすいのであった方が良いかと・・・
歩くこと7分、到着です。
ずっと前から来ようと思っていましたが、
帰りのフェリーの時間の関係でいつも来れませんでした。
真田幸村公は大阪夏の陣で亡くなったとされています。
ですが、生きて大阪城より脱して、
豊臣秀頼を守って薩摩に落ち延びたというのです。
豊臣秀頼公のお墓と云われる場所も鹿児島市内にあるそう。
肥前松浦藩主・松浦静山公の『甲子夜話続編』によると、
静山公は信州松代藩主・真田幸貫公との会話で
『家(真田家)の幸村は薩摩にゆきたるとおぼし』と聞かされたそうで、
まったくのデタラメという訳ではなさそうです。
最後は指宿市内に戻り『揖宿神社』へ。
随神門。
旧社格:郷社
御祭神:大日孁貴命、天之忍穗耳命、天之穗日命、天津日子根命、活津日子根命
熊野久須毘命、多紀理毘賣命、狹依日賣命、多岐津比賣命
こちらも枚聞神社と同じような造りになっていました。
書置きの御朱印を頂きました。
これにてこの日の日程は終了です。
山川港に戻り乗船手続き後は、待合所にいたに遊んでもらいました。
この日の走行距離:386km