1966年10月号の時刻表に掲載されている、延岡を真夜中の0時15分に発車する日向市行きの935D

遡ってみると、
1940年10月号の時刻表の927列車
出発時間は少し早いですが、935Dの前身と思われる列車です。

これより前の時刻表では同様の列車は確認出来ませんでした。

また、時代を下ってみると、1969年の時刻表にはありましたが、1970年の時刻表では確認出来ませんでした。

恐らく、この辺りで廃止されたのでしょう。

延岡は宮崎県北部にある都市ですが、東京や大阪のような大都市ではないのに、なぜこんな真夜中に列車を走らせたのでしょうか?
どんな需要があったのでしょうか?

疑問に思ったのでいろいろ調べてみましたが、理由が全くわかりませんでした。

さて、ここからは推論ですが、
この列車が運行を開始した頃は、1937年に勃発した日中戦争が泥沼化し、1938年に国家総動員法が施行されるなど戦時経済体制が強化されつつあった時代

また、延岡と言えば旭化成で有名と言うか、旭化成の企業城下町とも言われますね。

恐らく軍需物資の増産のため、夜中も工場をフル回転させる必要があり、3交代などで夜中に帰宅する工員を運ぶための通勤列車だったのではないでしょうか?

戦中戦後は一時、運行が途絶えたものの、
1950年の時刻表では再び確認出来ました。
恐らく、戦後の復興による増産により列車も復活されたのでしょう。

しかし、経済の発展と共に押し寄せたモータリゼーションの波により、1965年には約220万台だった乗用車の保有台数が僅か5年後の1970年には720万台を超えるなど、マイカーを持つ人が激増したことにより、列車からマイカー通勤へとシフトし、乗客が激減したことにより廃止されたのではないでしょうか。

あくまでも推論ですので、もし詳しい事情がお分かりの方がいらっしゃいましたら、ご教示いただけますと幸いです。