留学生日記28~キンパツのピアノ伴奏者と、プリ~ | パリと音楽と大学と

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パリにて声楽、シャンソンを指導。パリの音楽学校在学中より、フランス各地・ヨーロッパで様々なコンサートを経験。フランス国家公認声楽講師資格。アラフィフの物語を振り返るつもりです。

音楽学校には、常時ピアノ伴奏者がいた。私たちのクラスには、金髪の巻き毛、青い目、に、めがね、という、いかにもガイジンな青年がいた。20歳くらいであったかもしれないので、少年というイメージが今もないではない。ハラダシンジさんの若いときを金髪にしたような感じ。

彼のピアノはうまかった、本当にうまい人だった。発声練習の間は、みなに繰り返し同じ音階を弾いているのだろう、半分あくびをしながらだったが、それで音を外すこともなく、ちゃんとつきあってくれた。(とある音楽学校、声楽科の弱点は、この伴奏者のお金が余分に出ることである。)仕事だから当たり前だろうが、ピアニストはきつい仕事でもある。どんな難しい曲でも弾いてくれる。歌にあわせて、というよりは、ひっぱっていってくれることもある。若造ながら? ふたりで練習したときは、どんどんアドヴァイスをくれたので、おどろいた。歌の伴奏には、ちゃんと歌詞もわかっていることが必要なのだ。そして彼はちゃんと知っていたのだ。


伴奏者でありながら指導者でもある”コーチ”にはアメリカでも出会ったのでそんなにはおどろかなかったが、このときは、完全に年下である彼を見て、ははあ、こういうことなのか、これがchef de chantへの道なのか、と妙に納得してしまった。


5月6月ともなると試験の時期。みなが忙しくしている中、彼には無理を言って、少し余分にあわせてもらった記憶がある。録音もしたのかもしれない。とにかくうまくて、歌いやすかった。

(ピアニストがうまくて歌いやすいのなら、しゃかりきになってあわせてもらわなくてもいいじゃないか・・・と思うのは、今。)


とにかく試験はやってきた。何を歌ったかも忘れてしまったようだ。友人は聞きに来てくれたのに、フランスでの、最初の録音し忘れである。後から知ることになる、歴史のあるというホールでの試験は、いつものように臨んだような気がする。発表まで時間があり、わけのわからないままに、最初に呼ばれて一安心。審査員一致のプリだった。けれども、言葉が徹底的にわかっていないと、感激も薄かったかも・・・


伴奏の彼にはお付き合いを続けて欲しかったが、どうやら伴奏はおしまいにする、ということだったので、その先は違う人に出会うことになる。


はあ~~あんなにうまいのに、伴奏には徹しないんだなあ。若いのに、


ピアノのうまい人は多いんだなあ!!!!


と、恐れ入った時であった。


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