音楽学校には、常時ピアノ伴奏者がいた。私たちのクラスには、金髪の巻き毛、青い目、に、めがね、という、いかにもガイジンな青年がいた。20歳くらいであったかもしれないので、少年というイメージが今もないではない。ハラダシンジさんの若いときを金髪にしたような感じ。
彼のピアノはうまかった、本当にうまい人だった。発声練習の間は、みなに繰り返し同じ音階を弾いているのだろう、半分あくびをしながらだったが、それで音を外すこともなく、ちゃんとつきあってくれた。(とある音楽学校、声楽科の弱点は、この伴奏者のお金が余分に出ることである。)仕事だから当たり前だろうが、ピアニストはきつい仕事でもある。どんな難しい曲でも弾いてくれる。歌にあわせて、というよりは、ひっぱっていってくれることもある。若造ながら? ふたりで練習したときは、どんどんアドヴァイスをくれたので、おどろいた。歌の伴奏には、ちゃんと歌詞もわかっていることが必要なのだ。そして彼はちゃんと知っていたのだ。
伴奏者でありながら指導者でもある”コーチ”にはアメリカでも出会ったのでそんなにはおどろかなかったが、このときは、完全に年下である彼を見て、ははあ、こういうことなのか、これがchef de chantへの道なのか、と妙に納得してしまった。
5月6月ともなると試験の時期。みなが忙しくしている中、彼には無理を言って、少し余分にあわせてもらった記憶がある。録音もしたのかもしれない。とにかくうまくて、歌いやすかった。
(ピアニストがうまくて歌いやすいのなら、しゃかりきになってあわせてもらわなくてもいいじゃないか・・・と思うのは、今。)
とにかく試験はやってきた。何を歌ったかも忘れてしまったようだ。友人は聞きに来てくれたのに、フランスでの、最初の録音し忘れである。後から知ることになる、歴史のあるというホールでの試験は、いつものように臨んだような気がする。発表まで時間があり、わけのわからないままに、最初に呼ばれて一安心。審査員一致のプリだった。けれども、言葉が徹底的にわかっていないと、感激も薄かったかも・・・
伴奏の彼にはお付き合いを続けて欲しかったが、どうやら伴奏はおしまいにする、ということだったので、その先は違う人に出会うことになる。
はあ~~あんなにうまいのに、伴奏には徹しないんだなあ。若いのに、
ピアノのうまい人は多いんだなあ!!!!
と、恐れ入った時であった。