留学生日記20~夢中になった舞台2~ | パリと音楽と大学と

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パリにて声楽、シャンソンを指導。パリの音楽学校在学中より、フランス各地・ヨーロッパで様々なコンサートを経験。フランス国家公認声楽講師資格。アラフィフの物語を振り返るつもりです。

もう一つ大好きだったオペラは、リュリの「アルミード」という作品。シャンゼリゼ劇場にて、これは上演前の講演から足を運んだ。足を運んだだけである。だって、何にも話がわからないんだもんな~~・・・

こちらの演出は、大きなキャンバスが舞台をのっとっている感じだった。派手な色彩の、ざっくりとした油絵がかいてある感じのバック。歌い手のハワード・クルークが結構好きだった。合唱は、シャぺル・ロワイヤル。何がよかったといって、この合唱団の振り付けだった。前出のレザンドギャラントは、演出は時代無視でも、振り付けは、バロックダンスであったが、こちらは、全くモダンダンスであった。しかも、合唱団まで一緒にやれるよう、上手に計算されていた。衣装も色彩の強いもので、ダンサーはミニから下着が見えても平気なようになっている。演劇で言うところのコロスと、コーラスって同じなんだけど、ギリシャ悲劇を踏み台に下子のオペラ、この後ろの人々が一番よかった。

しかし、一つ、重大な欠点もあった。主役が悪かった。

このアルミードの主役、「普通のオペラ界」からやってきた歌手が歌った。声はいいし、でかいし、芝居もいい。カルメンタイプだ。

んだけども。音外れてる。遅れてる。ハワードと、音楽合わないべ。

そんなもの音楽の基本であるが、オペラではずれることが少なくない。が、バロックオペラだけは、それでもきっかりそれをカバーしていた。きっちりそろうこと、音程にうるさいことが特徴でもあるのだ。

というわけで、私には不満がごってりたっぷり。悪夢のような信じられないできごとだった。


この頃の(1992年頃)バロックオペラはなにかと「バロック」のヒトが出てきた。バロックの特別な発声法があるわけではなく、バロックの「スタイル」にはいっていけるかどうかが問題なのである。しかし、いわゆる「古楽科」には、ボーイソプラノみたいな感じの、声が素直に出て、ビブラートの大きくない人がけっこういた。冗談でもヴェルディは歌えない。(しかしそれはできるかどうかという問題ではなくて、ニーズに合うかあわないかで歌手は振り分けられるのだから、ヴェルディがレパートリーに入らずともかまわないのだ。)その素直な発声で、音楽的に価値が出るならそれでよいのだ。だからバロック・オペラのソリスト、というとたいていメンバーがいつも一緒だったりした。ただ、ときどき「声が届かない」とたたかれる歌手もいた。


いつの頃からか様相が変わり、現在は「普通のオペラ歌手」がバロックを歌っている。スタイルをわかって歌うというインテリジェンスがある歌手ならば、演奏はまともなものになるからである。(しかし、合唱に関しては、今も細めの声とか、あまり声がこなれていない若い歌手が多いように感ずるのは偏見だろうか)


その後に舞台裏をみてしまったことより推測すると、オペラ制作にはいろんなことが絡み、あのときのシェフも「この歌手を使え」といわれたのかもしれない。どうみても、シェフが選んだとは思えないからだ。10年間の間に、バロックはいい意味でも悪い意味でも普遍化したと思う。


それにしても、二つの合唱団には結局縁がなくて少し残念である。オーディションに受かっていたのに、仕事のオファーは同時期に何箇所からも来てしまうので、断らざるを得なかった。歯がゆいものだ。もしかしたら、フィリップとだって一緒に歌えていたかもしれないのに~~~しょぼん


ロランス(ギュメット), ジャン(ベロニク), リム(ノエミ), ドゥルトレ(ベルナール), コレギウム・ボカーレ・シャペル・ロワイヤ, リュリ, ヘレベッヘ(フィリップ)
リュリ:歌劇「アルミード」全曲