バンド経験 | パリと音楽と大学と

パリと音楽と大学と

パリにて声楽、シャンソンを指導。パリの音楽学校在学中より、フランス各地・ヨーロッパで様々なコンサートを経験。フランス国家公認声楽講師資格。アラフィフの物語を振り返るつもりです。

日本にいたとき、節目節目に?経験したのが、バンド。

中学生のと気からとてもあこがれていたんだけど・・・サザンとかみたいに、紅一点、とか。

その願いがかなった?のは、高一の時。文化祭バンドを組もうとしていた男子がキーボードを探していた。クラスには、小学校からずっと一緒だったもうひとりの男子もいて、彼に、「それなら彼女がピアノ弾けるよ」と紹介してくれたのだった。引っ込み思案の私にはとおってもありがたかった。練習場所が、その紹介してくれた男子の邸宅で、彼はバンドはやらなかったけど、つきあってくれていた。


そのときに「なにねこかぶってんの」


といわれたの、ようく、覚えてるわ・・・

小学校のときの私は、そんなにおとなしくなかったんだよね。




高3では女の子ばかりのバンド。


大学ではクラシック声楽だったので、もう、「そういう音楽」には、オサラバしたつもりでいた。でも、最後の学年に、美術科のおもしろい先輩が「バンドやらん~?」といってきたので、記念に・・・

あれはどういう音楽だろう?バットマン~とか、アイコアイコアンデイとか。



で、仕事も決まって・・・というある日、高校のともだちが「友達がキーボード探してるんだけど」



・・・・好奇心の強い私は、OKを出した。


やるのは爆風スランプ?



・・・・誰、それ?



6年くらい、ロックにもご無沙汰していたので、

な~~~~~~んにもわからない。




それに、練習に行ったら、スタジオ代は割りカン!?ええっワタシ、まだ仕事してないんだけど・・・と一回目はカンベンしてもらった。(それにそんな話聞いてないよ~)


これはこれでまた、「大人」の世界だった。

みな同じくらいの年なんだけど、仕事人ばかりだったのだ。


このバンドがあったから、高校で教え始めても、クラシック一点張りにならずにすんだような気もする。生徒各自には、それぞれの好きな曲を紹介してもらった。クラシックは少なく、流行の曲が、少しわかってきた。

そして、私はやっぱり、クラシックだけではやっていけないな、とも思った。




それ以来バンドは、文化祭で立ち会って楽しむほうで、やっていない・・・というのはうそで、



二つめの高校生活が終わるとき、生徒が「卒業ライブ」をする、と知った。

「私も混ぜてもらえないかい?」



この高校生活の中で、ロックをはじめ、インディーズまで興味を持ってしまった私・・・・

Xのエンドレスレインを歌わせてもらった。

Queenは、the show must go on

それからRise and fall


生徒にたくさん教えてもらった。

まだまだ勉強することはいっぱいあった。