最初の語学学校はソルボンヌ。でも大学ではなくて、夏期文化講座とか、そんな名前がついています。
クラスわけの試験を受け、申し込みは確かにソルボンヌ本校でするけれど、実際の授業は、モンパルナス近くの分校で。
大学も結構こういう仕組みらしい。大きなキャンパス大学は少なく、残りは、あっちで勉強、この科目はこの校舎で・・・
と、足を運ばなくてはならないようです。パリ郊外なら大学がまとまってもいるようですが、パリの中には場所もないので、こういうことになっているみたい。そして、フランスの学校は、生徒が先生の部屋へ移動するのが一般的らしい。日本の音楽室で音楽をする、というようなことが普通で、先生が来るまで部屋に入れないらしいです。(さすがに小学校は、日本とほぼ同じようだけど)
この分校教室へはバスで通うようになりました。メトロで行っても一回乗換えだけでそんなに遠くないのに、その一回の乗換えが面倒だったんだろうなあ。一番近いのはvavinという駅で、あたりには、いわゆるモンパルナスの高級?ビストロがたくさんあります。昔の文豪たちが通っていたというカフェなどです。
話は21世紀に飛びますが、合唱団のコンサートのゲストに呼ばれて出かけていったのが
STUDIO RASPAIL ステュディオ・ラスパイユ。着いてみたら、なんと、このソルボンヌ分校の隣でした。
おかしなものです。
初めて通った学校の隣で
その後リサイタルをするようになるとは、思ってもみませんでした・・・・
さて、このソルボンヌ夏期講座・・・重たい教科書を買って・・・教室が、7月というのに、寒くて寒くて。おしゃれしていったつもりなんだけど、毎日寒くて仕方がなかった。
勉強のほうは、フランス語の基礎は日本でやっていたので、文法はわかりますが、話せない~・・・・
発音にひけ目を感じているのと、文法を間違えるのがいやなので、話せない上に、話さない。
クラスに日本人は私を入れて3人、男の子と、すでにパリに結婚して住んでいる同年代の女性。この彼女は、ご主人と話すのは英語だそうですが、住んでいるので、すでに仏語もある程度は「話せる」状態。話せるのに、
「文法とかよくわかっていないから来たの」
だから、にこやかにみなと談笑している。
ますます私はコンプレックスの塊。
クラスにはいろんな国の人がきます。忘れられないのはメヒコの女の子。(メキシコ)
queはクに近い発音になるのだけれど、何度いわれてもケとかクエになっちゃう。
でも、しゃべるしゃべる。
みんな、「口が先」
日本人にはよくある話ではあるんだけど・・・
ヨーロッパ系ならば、日本語からよりは、ずっと、フランス語の仕組みにちかいわけで・・・
文法はいい点を取れる。でも、「実用」の話ができない。
発音は、各自ブースに入って練習というのがありました。居眠りもしたけれど、とにかく発音に情熱をそそいできたので、歌詞のレッスンを特別に頼んだりしました。その頃のカセットテープなんてのも残っているはずで、今なら、なにがコンプレックスにつながったか、そして何が発音と結びつかなかったのかが、わかります。
「話せない」のは、発音でも、文法の問題でもない。
「コミュニケーション」の問題。
コミュニケーションの仕方を知らないわけだ。
そんなことには、当時は、はたとも気がつきませんでした。
つらかった。