15年前の留学準備 | パリと音楽と大学と

パリと音楽と大学と

パリにて声楽、シャンソンを指導。パリの音楽学校在学中より、フランス各地・ヨーロッパで様々なコンサートを経験。フランス国家公認声楽講師資格。アラフィフの物語を振り返るつもりです。

今なら15年前ってそんな前でもないような気が、


私は、


するのですが、


今、留学したい方には大昔かも。(・・。)ゞ



パソコンなし。

携帯なし。

ホームページなし。

国際電話、高いから、たまにしかかけない。



アパート探しだけは、現物を見たほうがいいので、今も大変だと思うけど。


その、「日本からの宿探し」はどうやっていたかというと。


地球の歩き方(暮らし方はなかった)または留学についての本に掲載されている、

寮だの、公的っぽ名前のついている施設にひたすら手紙を出す。

フ、フランス語で・・・


「国際返信用切手」と、自分の日本の住所を書いた封筒を同封します。


返事があればもうけもんです。


でも、何処も、色よい返事はなかったような気がします。

女子寮はOKだも知れないけれど、歌の練習をしたい、となると、自ら迷います。

ナントカ館、と名前のついているところは全滅でした。

相当前から抑えておく必要があるか、または、日本の特定の団体によって

あらかじめ押さえられている・・・ということを最近知りました。

それでも、フランスに来ていれば、手紙を書き、面接を頼んで、そういう施設に住むことができた人もいます。

そう、フランスに来ていればちょっとは違ってきます。




でも日本からではなんともねえ!


今はこうして日本語で書いた文章が、直ぐ日本へ届く・・・

はあ、時代は進みます。