(自分でタイトル書いておいて、中学生日記を思い出すとはこれいかに。中学生日記の発信地、名古屋生まれです。)
あれは3年前・・・でもなんでもなく、20代だった、1992年のこと。それまで3年間勤めていた高校にも未練がありましたが、けじめをつけてフランスへ。4月には自由の身?となり、大阪へビザをぎりぎりに申請しにいったり、直前に日本でコンサートをしたり、なんとも落ち着かない日々でした。
パリは一度旅行で行ったところ。かすった程度の滞在で、行った場所が悪かったのでしょう、「こんな汚い町、2度と来るものか」と宣言をしてました。が、音楽の学びたいことが重なって、結局パリへ。フランス語をナントカしたかったのも、もちろん理由のひとつ。万一、自分の思うように勉強できなかったとしても、得るものはある、と信じてのことでした。
1992年6月19日、晴れ、むし暑い朝
・・・飛行機の出発は、1時間遅れ。せっかく見送りに着てくれた、予備校生を含む教え子たちも、外で離陸を待つのはさぞ暑かったことでしょう。(当時、小牧空港)別れの涙?の後に、なかなか飛び立たない飛行機・・・・・・かっこつかないなあ~。徹夜で荷物を詰めなおしていたにもかかわらず、私は飛行機の中で眠ることもできないでいました。