全日本プロレス創設者:ジャイアント馬場さん(1999年他界)の夫人、馬場元子さんが、4月某日、他界していた


78歳でした


元子さんと言いますとジャイアント馬場さんが、未だ野球選手だった頃から、既に、縁結び、ジャイアント馬場さんがプロレスラー転身してからは、パートナーで、夫人として、馬場さんを支えたらしい

生涯現役の矢先の不幸は、1999年1月、ジャイアント馬場さんは、他界、同年5月に、姿なき引退試合を東京ドームで実施、そこに、元子さんが、馬場さんの遺品を持って登場した

そして、約1年後、50代後半のチャレンジで、全日本プロレス社長就任、実は、元子さんは、3代目の社長だった、その先代が、三沢光晴さん(2009年他界)が、社長だった、それは、またしてもの大量移籍だった事情、残った、川田利明、渕正信両選手、だが、天龍源一郎選手が、参戦したことで、再建としたが、その後に、新日本のエースとして君臨した武藤敬司選手が、電撃移籍、後に、武藤選手が、その当時の全日本社長就任で、元子さんは、社長退任となった


そのあとも、全日本に関わることは、あった元子さん、しかし、最後に元子さんが、見せたのは、2016年の新潟の試合だった


そのあとは、表舞台から消えたが


カムバックすることは、出来なかった


長い話となりましたが
元子さんのご冥福心からお祈りいたします