また行かねばならん
何にでも〝三大◯◯〟と呼ばれる対象があります。しばしば観光スポット案内で出てくるフレーズとして耳にしたり、写真を目にしたりしますが、ひとつひとつをクリアすることで、旅の達成感が得られる。それを承知のうえで、つい旅のテーマにしがちなのかな、と思いますが、今回のタイトルに使った〝三大霊場〟もその類。
というわけで、滋賀にお邪魔することになった先週末、空いた時間を狙って比叡山延暦寺に行ってまいりました。
霊場は軽々しく行ける場所ではないため、単なる旅のついでに行く、というわけにも行きません。それこそ、そこを旅最大の目的地と位置付けてチャレンジする場合、時間的な制約が生じることも避けられないでしょう。
そんなことを連想するからか、私の場合、一番最初に〝最も行きにくい所〟を優先したい傾向にあります。ちょっと例がアレですけど、テツ用語にある〝三大秘境駅〟のひとつとして有名な岩手県の、今はなき岩泉線の押角駅を最初にしたりして……。
そんなようなことがあるもので、最初に行った三大霊場はこちら、
青森県の恐山でした。
下北半島の先っぽの方ですので、さすがにちょっと行ってみる、というのは無茶な場所です。なので、それこそ「もう一度行く」のはなかなか叶わないかもしれませんけど……。
しかし延暦寺はそうじゃない。
今回は滋賀からのルートを使いましたが、京都からでも行けるというのは有り難い。いや、むしろ都からすぐのところに、こうした霊場があるのは不思議に感じられるほどかもしれません。
柄にもなく……
上の画像にある通り、延暦寺に行った日は朝から雨が降っていまして、今回は東塔エリア(この呼称でいいのかな?)のみ、の参拝。ところが国宝の根本中堂は〝令和の大改修〟が行われていて、建物全体が覆われて作業の真っ最中。遠くない将来、他のエリアにも行こうとは思ってましたが、一から参拝しなおす必要がありそうです。
ただし、根本中堂の中には入れたので、あの有名な〝不滅の法灯〟だけは観てまいりました。いや〝観た〟というより、〝体感した〟と言った方がいいかもしれない(当然撮影は禁止)。
たくさんの方が経験されてると思うので、私ごときが触れるのも今更な感じはしますが、とにかく厳粛な気持ちに……だけでなく、〝畏れ〟のようなモノが感じられる。あれはいわゆる宗教の持つ得体の知れないナニか、なのでしょうか。
織田信長という人物が、新しい世の中を創出しようとした時に、「これは殲滅しなくてはならない」と考えたことと、密接に関係があるように思ってしまいました。その時の悲劇が山全体に漂っている、というと迷信めくのですが……うん、これはお天気のせいで、霧に包まれている中での参拝だったことが影響してるかな?。
でも、そんな感じ、はしましたですね。
次は紀伊半島?
そんなこんなで、比叡山延暦寺。〝令和の大改修〟が終わったら、また行かねばなりますまい。
しかし改修工事は2026年までの予定とか。それまで何もしないってのも……。ですからね、三大霊場の最後のひとつ。高野山にも行ってみようか、と画策しているところです。
紀伊半島は準地元みたいなもので、だから後回しになってしまったんですが、そんなこと言ってるといつまで経ってもいかないことになりかねない。やっぱり桜の咲く季節ですかねえ。あ、それは吉野でしたか……。
いかんいかん、不信心がバレバレに……、って、最初からバレてますわな。