飯坂温泉に行ってきた話 その5 | 正直、スマンカッタ!

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フリーランスライターSATOの仕事&プラペの記録。

その店に訪れたのは、ある流行の素材が狙いだった。GWに会津若松に帰省した際、嫁さんがほしいと言っていたモノなのだが、なんだかんだで店に行くのを忘れて、そのままになってしまっていたのだ。

福島市は歴史のある街だけに、会津若松と似ている店も少なくない。たまたま看板を見かけて門の中に入ってみたところ、店主が奥から出してきてくれて丁寧にその素材を使った料理の仕方を教えてくれた。後日、レシピ通りに嫁さんが作ってくれたが、確かにうまみが増していい味わいに仕上がった。

前回の記事の最後の一言、「どちらから、いらしたんですか?」は、確かレシピを聞いていた流れで発せられたと思う。店主によれば、飯坂温泉にはめっきり人が少なくなったという。帰京する日が平日だったということももあるが、確かにその日はほとんど人影がなかった。

「震災の影響ですか?」と試しに聞いてみると
「そうですね。昔は平日でも20組、30組くらいは街を歩いている風景がありましたが、今はほとんどゼロです」
と店主は寂しそうに道路を見つめていた。

温泉街の宿命で、震災前から寂れていたところもあるのだろう。俺もそう思っていた。しかし、それだけで片付けてしまえるほど、風評被害の影響は小さくない。放射線を巡る人の心の問題が、この昔ながらの街に牙をむいて襲いかかっている。

夏休み後半のこの時期、通常ならば飯坂温泉は首都圏の大学の合宿で賑わっているという。坂の多い飯坂は走り込みをするには絶好の場所だ。盆地ならではの強烈な夏の暑さがあるとはいえ、山沿いの地だけに涼しげな空気も感じられる。一日中体を動かした疲れは温泉が癒してくれるし、東京からのアクセスもいい。肉体を鍛え上げることに専念したいアスリートにとって、好条件がそろっている場所なのである。

にもかかわらず、2012年の夏はたった1校しか合宿をしなかった。
「学校が協力しようとしても、部員の親御さんが心配されるようで…」
店主がぽつりと漏らす。

そんな状態だから、親子連れで歩いている家族など、まったくと言っていいほど見かけなかったそうだ。ここで、ふと、疑問が沸いてくる。昨日のホテル聚楽の盛況は、いったい何だったのだろうか。たあそこではくさんの子供たちが歓声を上げながらゲームや食事、熱い風呂を楽しんでいる様子が脳裏を駆け巡る。

「聚楽は家族連れがたくさんいたんですよね」
と話すと、店主は意外そうな顔をした。

結局、これは聚楽と飯坂温泉の間に乖離があるということなんだろう。
滞在中にホテルの中で楽しみつくすイベントが満載で、飯坂温泉の街で遊ぼうという気が起こらない。ホテルとしては間違いではない。せっかくの客を外に出すいわれはないだろう。ホテルの中でお金を落としてもらった方がいいに決まっている。

いや、単にイベントを楽しむただけの話なのか?
聚楽の外に出ないのも放射線の影響ではないか? 
昨日、否定した考えが再び甦る。コンクリートの放射線遮蔽効果は抜群だ。普段、遊べない分、室内で騒がせようという地元民が来ていても不思議ではない。

もちろん、そういう人もいるだろう。しかし、結局は聚楽で完結してしまっているのが大きいのだ。以前、親戚一同(子供4人付)で箱根のホテルに泊まったことがある。そこも全てがホテル内で完結していた。ゲーム大会で遊ぶのも、着ぐるみと記念写真を撮るのも、お土産を購入するのも、全てホテルの中。あの時は車だったから、そのまま箱根(強羅あたりだった)の街に下りずに、小田原方面に行ってしまった。聚楽もおそらくは電車ではなく自家用車でアクセスする人が多いのだろう。現に帰りの電車で自分たち以外の家族連れの姿は見かけなかった。

有名ホテルと、地元温泉街の連携。
非常に難しいのだが、うまいこと出来ないものだろうか。そういえば、いわき市ではハワイアンズは儲かっている一方、一人勝ちしているだけで他になかなかプラス効果が波及しないと聞く。それと似たような構図が、聚楽と飯坂温泉にもあるのかもしれない。

話が逸れた。
店主とはそこから放射線問題の話になった。
「飯坂から出ていく人も少なくないんです。近所の保育園は園児が120名いたのが、70名になりました」

ここからは2012年(去年)の話、ということを特に念頭に置いておいてほしい。
今では状況が変わっている。逃げた人も戻ってきているとも聞く。
当時は震災から1年足らずの時期だったのだ。(だからこそ旅に出た直後に書くべきだったのだが・・・)
続きは次回。