会津若松に行ってきました 2 (福島市と放射線) | 正直、スマンカッタ!

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フリーランスライターSATOの仕事&プラペの記録。

残念ながら、俺には地元の友達があまりいない。

本当は会津が嫌いだったので、なんとなく距離を置くようになり、交流を持たなくなってしまったのだ。

それが今や地元にできることを探すようになったのだから不思議なものだ。

数少ない交流を持つ者の中に、福島市で教職に就いている奴がいる。ためしに連絡したところ、会津に帰ってくるというので時間を合わせて七日町で落ち合ってみた。あちらさん夫婦と子供たち、その弟と子供たち、合計10人近くで、ワイワイと七日町を歩いてきた。


福島市での放射能汚染は、かなり深刻だという。報道されている通り、校庭での活動は制限されている。彼の子供たちも外で遊ばずに室内にずっといる。Wiiばかりやっているそうだ。だから、会津でマスクなしに思いっきり遊べるのが本当に楽しいのだろう。大声で歌いながら、あふれんばかりのパワーで街を闊歩していた。子どもたちを見つめる観光客の笑顔が、温かった。空を見上げると、鮮やかなブルーが市内を包み込む。春は、ようやくやってきた。



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↑会津若松市内の公園にて。思いっきり外で遊ぶ子どもを見るだけで癒される。


反原発の急先鋒の方たち、つまり、不安に苛まれて狼狽えているだけの方たちは、福島全土が汚染地域だと決めつけたいようだ。しかし、会津では心配する必要はなさそうだ。原発が再度アレしたらわからないが、3月15日の水素爆発をピークに放射線量が低下し、今は016μシーベルト/h前後で安定している(平時は0.05μシーベルト/h)。南会津や奥会津などは、それこそ東京以下の空気(言い方がおかしいがw)。だからこそ、GW中は多くの観光客がやってきたのだろう。

ちなみに友達が教鞭を取っている学校は、そこまで放射線量が高くないらしいが、数人の親の要望により、外での活動は行わないことにしているという。

「本当に大丈夫かどうか、誰もわからないから、外で活動することはできない」

彼はそんな風に話していた。誰もが安心できる放射能の明確な基準が必要だろう。それには原発に関する立場にかかわらず、意見を「理解し合う」ことが大切なように思う。


かなり制限のある福島市だが、市内のすべてが20msv/年を超えるのではないということは強調しておきたい。福島市でいえば東部は飯館村にも近く、様々な対策を早急に行う必要があるだろう。しかし、中西部は0.6μシーベルト/h程度という報告もある。表面の土壌改良をすれば、“不毛の地”ではなくなるのではないだろうか。


友達は「福島市で生きるしかない。生きたい」と話している。仮に逃げるという選択をするにしても、教員である以上、彼の家族は一番最後に逃げるしかない。
個人的には逃げなくても、何とかなる方法がたくさんあると思う。土壌改良はその代表例だ。


■東日本大震災:福島の園庭、表土入れ替え 放射線量10分の1にhttp://mainichi.jp/select/jiken/news/20110509ddm041040096000c.html


このニュースによれば、0.2μシーベルト/hまで下がったという。

福島市で生きようとする人間を、もっと応援したい。

そして、新エネルギー利権を手にしたいがために福島を貶め、福島市で生きようとする者を邪魔する人間を、俺は絶対に許さない。


■孫正義のつぶやき

http://twitter.com/#!/masason/status/67012941425287168

http://twitter.com/#!/masason/status/67036921397915649



差別の話しようと思ったが、孫氏のつぶやきに、あまりに頭来たのでこっちを先に書いた。

この孫氏の態度は、福島=汚染イメージを無用に拡大しているという意味で、福島県民の差別にも、もちろん、直結している。